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  映像研究

短いフェーズ

・変化している。変化を感じながら生きている。日頃は忘れている。無意識にでも焦点を合わせないようにしている。時々追いつかれて肩を叩かれるように、もしくは偶然に出くわすように、他者の心身の不調の波にぶちあたる。波がぶつかりあって衝撃を生むような木曜日。帰宅して家族に「今日は悲しいことしかなかった」と声に出す23:00。ひとつひとつの出来事を記述することはできない。

 

・少し前にこのような感触を持ったのはと思い返してそれは夏のはじまりの火曜日だった。それは主に2020年/2023年以降のあたらしい社会のありようについて、軋みつつ変化していくイメージとして考えられたけれども、現在の感じはまたそれとも異なる。暑さでやられてしまったのではないか。耐え難い暑さと、官民を超えた管理による窮屈さとで、さらにはいたるところで漏れ広がる「感情を想起させる情報」を見聞きすることによって、激しく、等しく、疲弊しているのではないか。

 

 

mrtr.hatenablog.com

 

 

・疲弊は連鎖するようにも思われる。連鎖して、そして、ある日突然給食が届かなくなるのか。

 

・同時に、思考の底にうっすらと沈澱する「悪を言い当てんとする欲望」に敏感であれ。自戒。

 

・この時代にこの場所でジェーン・スーという人が求められる理由はさまざまに考えられるが、ひとつには「お疲れさま」というただその言葉を、適切な実感を込めて表現することができたからではないか。自分にとって学ぶことが多い事例だが、しかし振り付けられた「お疲れさま」では誰にも届く言葉にはならない。想像力をはたらかせつつ発する言葉には何かが宿る。嘆きを踏み越えて発せられる「お疲れさま」を必要とする社会あるいは世界について考える。