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  映像研究

調べもの

・このような一日をどう言えば良いか。「調べものする日」と言ってみる。

 

・明日から週末までは業務の予定が入っているため家のデスクに向かうことができるのは今日だけだった。午前中は電気の点検のため在宅。思い立ってインクジェットのプリンタで名刺を印刷する。今年に入ってから時々交換する機会があり切らしていた。名前とメールアドレスと携帯電話の番号のみのシンプルなもの。今回はじめて名前の上に「映像研究」と記す。映像を研究している人になった。

 

・図書館で勉強する案も考えたが、乱読(積んである本を整理しながら次々読む段階)の予感があり、そうであるならばと時々冷房を使いながら引き続き家で作業する。春に購入して読んでいなかった図録『自然の美・生活の美 ジョン・ラスキンと近代日本展 Ruskin in Japan 1890-1940:Nature for Art, Art for Life』を発見して読む。いくつかの固有名が星座のようにある時代に生じた思想を描く。「風景」と「写真」あるいは「芸術」について考えるならば、直接言及しなくとも、こうした思想を基点にするよりほかなかった。だからこれはまだ夏(休み)の宿題の続きをしている。

 

 

mrtr.hatenablog.com

 

 

・「ある時代に生じた思想」と書いてみて、それは今ならばどうだろうか。一方で、約3年前に今とまったく変わらない言葉を書いている。

 

・少しずつ自分の知りたいこと、見たいもの、聴きたいもののほうへ近づいている、という感触はあるが、それが自分の内にある動き以外のあらゆる変化と比べて、かけ離れているように、遅れているように思えて、驚く、あるいは恐ろしい、と半年間感じ続けている。興味や関心が如実に過去へ遡っていく。その過去の時間に向けた眼差しをフィルターのようにして現在を見ている。と、そのように書けば、それは普通の大人の普通の成長のようにも思える。けれどもそれが他ならぬ自分に起こる不思議。

 

・高度経済成長期の映像など見て、その時間を生きていたわけでもないのに、ああ、比較的最近だな、などと思っているこの思考は何か。