&

  映像研究

実験

・202309222115。帰宅する京王線で書いている。毎年9月の後半には業務がたてこむ。次々にすべきことが押し寄せるが、その最中で「作品を介した特別な対話」をしている。後になって思い返したならば、この時間も輝かしいものであるか。

 

・昨日は久しぶりにラボへ。撮影し終わったブローニーフィルム3本の現像とベタ焼きをお願いしつつ、以前に現像したネガフィルムも持っていく。数年細々と撮影をしていて、気になる写真を大きく引き伸ばしてみようと思っていた。以前にも一度四切りで試みたが、もう少し大きなサイズで写真を見てみたい。これは2023年の自分の課題でもある。テスト用にキャビネサイズをお願いして、「最終的には全紙サイズを考えています」と伝えたならば、「写真展をされるのですか」と訊ねられたから、うーんと小さく唸りつつ「実験なんです」と答える。実験をしている。

 

・「写真を撮ること」あるいは、その手前の「対象を見ること」に極端に集中して考えることをしていたから、必然的に「写真を見ること」を一旦忘れようとしていた。けれどもやはり撮ることと見ることは一つのサイクルであり得る。写真を見るという、ある意味での奇妙な経験の質を感じているからこそ、写真を撮ることが特別な行為として感じられる。当たり前のことに気づいた。

 

・多くの写真作品が「シリーズ」や「連作」である中で、ただ一枚の写真作品とは何か、ということも考えている。そして、一枚であることと、他のイメージと結びつくことは、いつでも、固有の、興味深い出来事となる。そのことについても考えてみたい。