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  映像研究

移動

・書いておくメモ。5月20日の土曜日。朝には小雨。昼には晴れる。風が強い。蒸し暑く且つ肌寒く感じる。一日の内に季節の変化が、変化させる諸々の力がおり重ねられているように思える。

 

二十四節気を調べれば、この現在は「立夏」から「小満」へ傾く。あらゆる生命が満ちていく頃、との説明も見つけたならば、そのあらゆる生命の一つとして「自分」があることを不思議に思う。あるいは満ちる生命がうごめく現在を合唱のように想像する。

 

・千葉へ。千葉市美術館の展示『「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容』を鑑賞。展覧会を鑑賞することは事物や図像を受け取り読み解くことであるが、同時に、このような展覧会では、歴史の物語を含む論文を読むような構えになる。登場人物たちの生きた時間を想像し、その繋がりを考えながら、作り出された作品を感受する。とりわけその作品が写真であるならば、レンズの向こうの対象物に反射するように、カメラを構える写真家の身振りが思い浮かび、その意識のありようまでもが想像される、と思う。

 

・アジェの受容、瀧口修造の果たした役割など、より深く知るべきことが分かった。同時に、写真それ自体では、やはり、というか、ワンフロアで展開された牛腸茂雄の仕事に驚く。雑誌などでは何度も見ているイメージで、展示されている作品としても何度か見ているが、それを新鮮に感じる。プロヴォークまでの諸々の「運動」の混沌から、すっと一筋抜け出たように、別のものとして牛腸茂雄の写真は感じられた。特に学生時代のポートレートは、のちに獲得されるスタイルには至らないにも関わらず、けれども確かに通じる雰囲気もあるから、新鮮な驚きとともに受けとめる。

 

・鑑賞中に合流した家族とともに千葉駅近くでおでん(おやつ)。再び電車で移動。

 

・表参道のGYREで『超複製技術時代の芸術:NFTはアートの何を変えるのか?-分有、アウラ、超国家的権力-』を鑑賞。新しい技術と文化を学び続ける必要を感じ、多少なりともそれを学ぶ欲もある。同時にそれを通じて、それとは異なる、自分の興味関心の所在が明確になる。物質とデータは何が異なるかと問うのは、イメージを前提としているからで、特に映像の流通を前提としているからであって、生の基礎的な次元からは、それは問題とならないということ。物質を物質として、いかなる情報(意味、価値、機能)も排して受け取ることを考えている。

 

・帰宅して冷蔵庫で冷やしていたワインを開けて夕食。三養醸造のオレンジワイン「miiオレンジ甲州2022」。移動は疲れる。鑑賞することも疲れる。考えることも。その疲労をほどほどに心地よいものとすべく飲み食べる。