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  映像研究

一日デスクに座ってはいた

 
・201812101812。4日ほど続けて業務に集中していたから今日は朝から全てをわすれるべくぼおっとする。絵を見て、文章を読んで、感想を言葉にして伝える。シンプルな仕事(業務、労働)だと思う。得意だとも思えず、さほど上達もしない。向いているのかどうかもわからないが、継続している。そうした仕事がひと段落したから、今日はぼおっとした。ぼおっとして、また次にやることに向けて、集中したいと思っている。


・考えることは書くことと読むこと時々見ることの間にあり、だから仕事もそのような意味では日々の訓練になっている。だけれども、やはり何かが根本的に違うとも思う。自分で考えることには「即リアクションする」ようなことは求められていないから、はっと思いついて、メモをしたり、忘れてしまったりしているうちに少しずつ考えが形作られていく。それは幸福なことであると思う。そのような時間と機会を持つことが許された生活は過去から見ても未来から見ても、幸福であると思う。


・エクリヲという批評の雑誌が写真の特集を組んでいたから、それを買い、読んで、考えさせられている。写真とは何かということを、特に2018年は考えていた。考えることができた。そして自分の考えが、ある時点で止まっていること、留まっていること、つまり更新されていないことに気がつく。フィルムで記録された写真とデジタルメディアに記録された写真は根本的に違う、そう言ってみて、しかし、だから何だというのだろう。自分にとってそれは重要なことであるように思われるのだけれども、多くの言説では、それは擬似的な問題であって、その先に考えを進めることが推奨されているように思う。拘っているが、拘りを固めているのではない。ただ予感ではなく、納得した上で次の一歩を歩みたい。


・11月は清野賀子の写真について考えた。「清野賀子論」のようなものを書いてみたいと思う。先に挙げた雑誌で清水穣という人が中平卓馬を写真の特性について考え、実践した人として挙げられていて、一方で牛腸茂雄はそれとは違うラインだと述べていたことが興味深い。そこで牛腸茂雄が想定していたであろう「写真の特性」を「環境」「関係性」という言葉で説明していて、なるほど、そうかもしれないと思った。そしてこのように考えた時、ボードリヤール中平卓馬のラインであり、清野賀子は牛腸茂雄のラインであると言えるかもしれない。「事物」のラインと「関係性」のラインがあるのか。


・しかし同時に2000年前後という時/時代もまた、写真の特性と向き合う上では、強力な要素だと思う。清野賀子が90年代後半という時期と写真という媒体をどのように結びつけたのか。それは撮られた写真によって「このように結びつけた」としか言いようのないことであるのだけれども、そのことを書きたい。書いて理解したい。それは自分が生きていた、半生/生焼けの歴史でもあるから。