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  映像研究

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・夏季休暇1期2日目。朝から吉祥寺のアップリンクへ。家族(妻)から教えて貰った映画『教育と愛国』を鑑賞。元々は2017年に放送された番組であったという映画は、以降現在に至るまでの出来事(特に「表現の不自由展」と「学術会議会員任命」の問題)を含むことで、明確なひとつの展開として描き出されているように感じた。公教育=歴史教育の中で自明のことであった「過去に学ぶ」ということ自体が困難になりつつあるという現在の状況は確かには90年代から進行していた。少しずつ、普通に生活していたならば気がつかない程の文言をアップデートしながら、事態は進行している。無力を感じても考え続けながら時に可能な範囲で表現することしかできない。しかしこのタイミングで観ることができて良かった。

 

・自分などは「教育」ということがうっすら関係する程度のサーヴィス業に従事しているという認識だが、そのような者でも幼いあるいは若い時の教育の重要性について日増しに思う。特に小中高の教育を担うことの重要さ(重大さ)を最近強く感じる。教科書に書いていた言葉は記憶から消えていくかもしれない。しかし教師が何かを伝えようとしていた意志は残る。その意志に関わる基盤が別のものに置き換えられようとしている。あるいは意志こそが標的にされていると感じる。どうすればよいかと問う。

 

・素朴なよろこびと供にあるような自分の研究はいかにしてその問いと接続し合流できるか。記しても仕方のないことではあるけれども、論文を書くことの中にはそのような疑問を放置している疾しさもある。あるいはもっと具体的にも、戦前に活動した作家を扱うことは過去の日本を美化し、さらには大戦とそれを基礎づけた思想を肯定することにならないかと考える。考え続けながら時に可能な範囲で表現することしかできない。

 

・中央線で考えていた。新宿に移動してキンコーズ。今週提出する報告書のくるみ製本をお願いする。「くるみ製本」と思うといつでも「胡桃」が浮かぶ。水道橋に移動して友人の飲食店でランチにカレー。休暇だからと昼から一杯だけビール。いつ来ても友人の店のカレーは美味しい。神保町まで歩いて移動。少しだけ古書店を散策。再び新宿に移動。少しだけサングラスのリサーチ。

 

新百合ヶ丘へ移動。アルテリオジャック・リヴェット『北の橋』鑑賞。リヴェットの名はドゥルーズ『シネマ』で何度か読んだように思うが一度も映画を見たことがなかった。冷房の効いたミニシアターで今日二本目の映画鑑賞。気持ちよく狂った映画だった。あらゆる都市はいつでも過渡的であると言えようが、この映画を観る限りで1980年のパリはスクラップとビルドの最中にあったと感じる。ラストに現れる竜の滑り台(オブジェ?)にはポンピドゥ・センターに似た印象を受ける。新しさとキッチュ

 

・映画館を出たならば小雨。台風は元台風になった。解けたが暴れていると言う。バスで帰宅。

 

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