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  映像研究

足元を見る

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・足元を写した写真、という一群がある。それを見ることはある平穏を与えてくれるように思う。限られた視界を視線が動く。土地=平面の様子とその面に並んだ物、色々なヴァリエーションがあり得る。その平穏は、普段の自分の、あまり意識することのない視界を思うからか。そのような視界を他者と共有していると信じることができるからか。

 

・足元を写した写真、の中でも草むら、というかくるぶし位までの植物のある地面を見つめ、切り取る画面のことを考えると、いつでも思い出すのは高野文子『棒がいっぽん』の冒頭の短編『美しき町』の後半のシーンの最後のコマのことかもしれない。トイレの本棚に置いていた『棒がいっぽん』を久しぶりに引き抜いてみると、そのコマはあった。記憶の一場面とも、空想の光景とも思える。現在の生を象徴するような一枚の絵。

 

・写真と絵は全然違う。それぞれの良さがある。

 

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・土曜日の日記。朝から家族と今日は電車で出かける。用事を済ませて北西へ移動。多摩センターからモノレールで立川へ。バス。母校の美術館で『ART-BOOK 絵画性と複製性』。刺激の多い展示だった。立川に戻って実家へ行く前の買い物を各種。久しぶりの立川は物凄い人出だった。祭りのような。

 

清瀬の実家へ。母親の誕生日だった。妹と従弟、母親の友人も。半年以上ぶりに気をつけながらの飲食。今朝従弟が釣ってきたというヒラメ、コチ、ハタを頂く。さばく様子も見事。食べ飲みながら近況を交換する。23:00過ぎに出て帰宅は24:30くらい。休日らしい休日だった。