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  映像研究

10月が始まるメモ

・202110012135。帰宅する京王線で書いても良い。20210までがスムーズにつるつると入力をしていた9ヶ月だったけれども今日からしばらくは、20211になる。時間は進む、と書いてみて、しかし目下自分が考えていることは、どちらかと言えば、時間が流れる、という考えを疑うことの方だった。変化していることは明らかだろうか。

 

・台風を待ちながら頃合いを見て外出する金曜日。午前中は家で作業。家の窓をすべて閉めてみたら空気の流れあるいは通りがなく少しの圧迫感。気圧のせいもあるだろうか。頭脳に手綱が繋げられているように感じる気もする。

 

・職場の最寄駅に着いたならば近くのHUBに飛び込みカードの有効期間を確認する。今日から営業再開。凄くビールを飲みたい人のように現れてしまったかもしれない。

 

・業務はひたすらに10月以降の準備を。可能な限り決められることはすべて決めてしまいたい。できるならば2月までの脚本をすべて書いてしまいたい(比喩)。その脚本をアレンジしながら演じることはおそらくできるであろう気はしている。

 

・業務に関連して一枚の絵を見ていた。その絵が「イラストレーション」であるとも、または「絵画」や「デッサン」であるとも言い切れない、そのような絵に魅力があると思った。ある程度までは一般化というか普遍的な問題として考えることもできるだろうか。既にある形式を拠り所にするのではなく、制作していくことで何かが現れてくることの面白さについて。あるいは既にある形式を拠り所にしているつもりであっても、結果的に逸脱していることの豊かさについて。それは現にある何かを知覚すること、集中することによって起こり得るように思うが、かと言って盲目であることとも異なるのではないか。その差異とは。

 

・明日はいくつかの展示を観るために横浜へ。友人数人に連絡してみたら都合がつきそうでさながらツアーのようになるかもしれない。久しくそのような休日を過ごしていなかった。このようなことがかつてこの生活には普通にあったのか。