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  映像研究

命日

・201902221029。すっかり春めいてくる季節。主に業務と研究について、それを新年度にどのように良い形で継続できるか。丁寧な準備が必要とされている。業務については基本的に毎年同じような仕事を続けながら、変化にどう対応するか、質をどう上げていけるか、自分の変化とどう対応させるか、など、続けていくことなりの考えるべき事柄がある。色々な意味でシリアスになる一方だけれども、しかし方法としての「面白がる」ことや、目標としての「自由である」ことを忘れてはいけない、とも思う。

 

・友人との会話から教訓を得つつ反芻しつつも吸収作業を進める。19日は恵比寿映像祭。ダナ・ハラウェイの変な映像を見る。三宅唱の映像日記の作品が良かった。良かったと思うと同時にそれを見ることを自分へのテストとして、映像を見るときの意識の動きを考える。ひとつのショットはもう少し持続して欲しいと思った。複数のスクリーンの映像は関連性がない方が良いと思った。これらは素朴な反応としてあるが、それは映像それ自体をよく見たいという気持ちに依る。写真と映像(動画)は決定的に異なる。

 

・思い出せば今日は命日だった。2月22日。5年前だった。葬儀の時に「2月22日の2時22分のことでした」と挨拶をしてちょっと笑いが起こるかなと思ったが静かだった。もう少し笑いを誘導するような発話の方が良かったのだろうか。それで笑えなくても困るのか。そうでなくとも人が死ぬ「ある時間」と「時刻」との対応は難しい。病気であったならば「死にいく時間の流れあるいは幅」として曖昧に記憶されている。そして儀式が被さってくる。儀式の記憶はもう少し明確に刻まれる。いまだに不思議な気持ちで思い出すことがある。儀式は定型的にその瞬間の数日後に2日間かけて行われた。

 

・儀式は誰にも知らせず親しかった/近しかった者だけで行われる場合もある。故人の描いた絵を捨てることも一種の儀式のようなことだったかもしれない。残す、捨てる、捨てる、残す、写真に撮る、捨てる・・・。その判断はなんだっただろう。写真に撮っても見ることはないだろう、自分の場合は。写真、動画、そして音声もどこかにあったはずだった。『SELF AND OTHERS』を言うまでもなく(言うのだが)、故人の声の記録はあまりにも生々しい。発話される雰囲気と、どのような空間で響いているか、そのすべての記録が、何かを感じさせる。時間的/空間的な、距離について。