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  映像研究

必要がない

・あとから思い出して書いておく日曜日の日記。朝から夜まで業務だった。授業後に夏の集中講座期間に向けた会議。未来について考えて話し合うことはいつも面白い。それが労働であっても。面白くあり続けるためにはどうしたら良いのだろうか。唯一の答えは無い。しかしいつも自分が所属するチームやその周辺の人たちの天才が向かうべき方向を示してくれる。ならばまずはその才を見出す眼差しを持っていなくては。

 

・帰宅して家族が仕事の傍でつくってくれていたカオマンガイと杏仁豆腐を食べる。ここにも天才があった。ビールはシンハー。タイムフリーで一時間遅れのTravelling Without Movingを聴く。聴きながらリビングで仮眠。22:00過ぎから久しぶりの山部オンライン・ミーティング。日本の各地がひとつの画面に集合する。

 

・もう20年来の友人が驚くような買い物をした話で盛り上がる。「冷静になってはいけない」「冷静に考えれば必要がない」というフレーズに打たれる。それは「蕩尽」というニュアンスで、生活の中の「ハレ」ということだと思った。多くの「普通の」人たちは、きっと、狂った買い物をしながら生きている。それは「必要がない」が、そうして何かのバランスを保ちながら生きているのも事実だということを思い出した。