&

  映像研究

入眠

・202012182129。帰宅する京王線で日記を書いても良いと思うのだが、書けることが少ない。午前は2時間程度家で作業をして、昼に出かける。職場に着いた13:00から21:00までの時間が光の速度で消える。今日のタスクは完了したつもりでいるが、それでも幾つかの事柄については明日に持ち越す。こうして持ち越し持ち越されているとあっという間に今年が終わる。だから可能な限り準備をしようと心に決める。決める自由。決める勇気。

 

・少し前に確か文芸誌の連載エッセイでシンガーソングライターの柴田さんが「シャッフル睡眠法」について書いていて、それは「元々寝付きが良いのだが眠れないことがあり試してみたら本当に眠れた」というような内容だった。自分は特技の欄に「入眠」と書くくらい自信があるが(だてにのび太と同じ誕生日じゃないと思ってる)、やはり時々入眠に見放されることがある。布団と仲良くなれないと感じることがある。そういう時に「騙されたと思って」シャッフル睡眠法を試した結果、本当にいつのまにか意識を失っていた。以来面白いので、電車に座れた時なども試してみるが、今のところ百発百中で寝ている。それで今日は職場の最寄駅を乗り過ごしたという話。

 

・入眠の決定的な要因は「世界への信頼」だと思う。「肯定」というと少し肩肘張った感じになるが、いずれにせよ、大丈夫、と思うことが(それだけが)、きっとどこかから入眠を運んでくる、というイメージを持っている。そのこととシャッフルがどう関係しているのかわからないが(精神的なプラシーボ60%くらいって感じはするが、それは「騙されたと思って」それ自体が入眠を連れてくるということなのか)、言語と入眠の関係は面白い。それまで自分は身体を意識を向けることで言語から離れることが、入眠に近づくことだと考えていたが、シャッフル睡眠法の場合は、過剰に語を浮かばせることによって言語の意味から離れることで入眠に近づく、ということなのか。