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  映像研究

家じゅうのカーテンを洗う

・202008051602。シーチング、帆布、家じゅうのカーテンは生地屋で購入した布を切り、クリップで留めただけのものだから、それを窓ごとに、クリップから外して洗濯機で洗う。洗い終わったら、使われているときのように、またクリップで留める。数時間で乾くだろう。布を洗うことは、何よりも精神衛生上よいのではないか。

 

・ジュリア ・マーガレット・キャメロンについて調べている。2016年に三菱一号館美術館(行ったことない)で開催された展覧会の図録を取り寄せて見たり読んだりしてみた。姪であるという、ジュリア・ジャクスンという女性のポートレートには惹かれるものがある。人を写すということはどういうことか。以前にもメモとして書いたように「様々にある細分化されたジャンルとしての『人物写真』というものがあるのではなく(それは絵画のモチーフの考えの転用なのだろうか)、写真を写す行為において、人と人とがカメラを介して向かい合うという状況が、写真において本質的なこととしてある」のだとして、その状況を何と考えることができるのか。なぜ人は人を写したいと思うのか。ある幅を持った時間における存在を静止イメージとして定着する望みは何か。

 

・問題だけを書いてみながら、また別の本を読むために中断する。

 

・細かいメール連絡系業務は午前中に終わる。厄介な制作系業務は手をつけていない。作業している部屋が暑いから、仕方ない、リビングでエアコンをつけて読書でも、と思って数分後、ベランダの室外機からの熱風でプランター栽培のオクラをはじめとした各植物たちが干からびそうになっているのを確認してエアコン停止。再び家の全ての窓を開けて扇風機をはたらかせて作業部屋にて続ける。

 

・19時くらいに一度中断してザバッとシャワー。そのまま夕食の準備。昨日家族が作ってくれていたラタトゥイユがあるので今夜はパン。きゅうりをサワークリームで和えたサラダとカツオの刺身でナンプラーを使ったカルパッチョとマリネの中間のようなもの。ふいにサマージャムのことを思い出してiPadに入れてたスチャダラパー『5th WHEEL 2 the COACH』を聴く。こんなに良かったのかと思う。イームズパワーズオブテンを知ったのはこのアルバムを聴いた1995年だった。最後の曲の「いつまでもずーっと今日が続く」というフレーズに、90年代の、とか、モラトリアムが、とかを当てるのは簡単だが、それとは別に「いつまでもずっと今日」であり続けるという解釈は可能だろうかと思う。2020年の夏。

 

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