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  映像研究

通常、そして通常

 
・冬の通常業務。



・通常って何だろう。時間は飛び去っていき固有名詞は忘れる。ipodからの微妙な懐かしJ-POPと電車の中吊りで言葉は溢れども何かの輪郭は結ばない。ぼんやりとした中で未だ来ない未来の「2011年」のことを考えたならば明るい日と書いて明日。ハレであるところの、非日常であるところの「正月」が楽しみすぎて日々を過ごしているが、なにぶん今年は3日から通常業務なので、通常でない日は3日しかない。しかし驚きを超えてそれもまた楽しいのではないか。約10年前のこと。新宿の某セレクトショップの年明けのセールに行ったところ、普段は多少なりともシックな装いのコーナーがあったりもするその店のテンションはほとんどラフォーレ原宿と変わらない文化祭感が100%で、それはそれで相当に良かった。宇多田ヒカルの『traveling』が爆音でかかりつづける中で、店員さんは喉をからしながらメガホンで「いぇっらっしゃっしぇ〜(いらっしゃいませ)」と連呼しつづける。その光景の隅でひとりの店員さんが別の店員さんに(こっそりと、しかしすんごい嬉しそうな笑顔で)話していたことを一生忘れないだろう。「僕、今日ほんとはシフト入ってないんですよ。」それは、その瞬間は、幸せなのかもしれない。



・そんなラフォーレ感は記憶の彼方で光り輝きながらも、更に輝くのは未来だ。「急行列車の人生」(『ブルー・バード』by キリンジ)を誰もが誰か進みつづける2010-11年、そして更にその先へ。最近何より楽しいのは「周りにいる人が例外なく全員面白い」ことで、それは「君の友だちって『面白い人』が多いよね」という用法のそれではない。そんな個性を尊重している風でその実サヴァイヴがどうのキャラがどうしたみたいな話なんて完全にどうでも良い。重要なことは「人は30才を過ぎると大抵面白いかもしれない」ということの方だ。植物で言うところの「何となくみんな双葉」のような状態から、気がつけばそれぞれオンリー・ワンすぎて大変なことになっているのではないか。双葉から順調に成長しながらも、花が咲くことを忘れて刺ばかりの人、刺ばかりだった結果「サボテン」であることに気がついた人、見たこともないような「つる」が伸びてきている人もいるし、双葉の状態でただただ巨大化した結果、気持ちの悪い南国風の何かになっている場合もある。この話題もまた「通常」というものは存在しないという、それはいわゆるひとつの居酒屋トーク