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  映像研究

・202005212321。今日はずっと読まねばと思っていた文章に取り掛かることができた。英語を少しずつ訳しながら読む。昼作業、一瞬昼寝、夕方から業務、という流れが非常にスムーズで、またこの業務の形式が完全に自然なものとなった。ラ王の袋麺の坦々麺を買いスープ少なめの汁なし風で挽肉と自家製メンマとベランダ菜園のパクチーを乗せ花椒を振りかけたら世にも美味しかったことを誰かに伝えたい。ずっと家にいるが部屋は散らかりもしないが片付きもしない。片付けることは捨てることつまり家の中に在る物を家の外へ出すことだと認識しているのだが、おそらく思考から「外へ出す」ということが欠けている。というか「家の中と外」という感覚が3月の後半以降すっかり変わってしまっていて、外がない。外に触れることもなく、外との通路もない。外に出る時は大抵車だから、車の窓からみる風景が自分にとっての「家の外」なのかもしれない。車の窓が外界への意識の通路になっているかもしれない。職場に最後に行ったのは5/7だったから早くも2週間。電車に最後に乗ったのは4/7だから約一ヶ月半。人の体勢が変わるには充分な時間なのだと思う。日記を書くことは自分の身体を基点とした定点観測でもある。自分の身体の窓とは何か。この「非常事態」が終わりながら、次に訪れるのは「新しい日常」なのだろうか。何かのフェード・アウトと別の何かのフェード・インを感じる週の後半の夜。