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  映像研究

2020年のクウネルについて

・202005201028。起床、コーヒー、家族を車で送り、途中コンビニ、駅前の自転車置き場で更新手続き、帰って再びコーヒー、洗濯。そして今。少し早い梅雨のような気候と思ったけれどもこれは台風一号の影響によるものらしい。部屋に置いていたアラジンストーブがzoomの映像に映り込むのが嫌で(基本的にはヴァーチャル背景を使用するが時々リアル映像で何かを見せなければいけない時がある)、それをクローゼットに仕舞い代わりに扇風機を出してみたが扇風機が映り込むのもそれはそれで微妙だ。しかもまだ肌寒い5月。

 

・コンビニで雑誌を買うことが習慣になっている。情報収集あるいはウィンドウショッピングの代替としての雑誌というこれは言い訳。今日はそういえばリニューアル後はじめてクウネルを購入してみた。リニューアルに対してあれほどまでに賛否(主に否定)の言葉が紡がれた雑誌も他にないのではないか。実際に自分もリニューアル前のバックナンバーは捨てずにほぼコンプリートしており、2000年代中盤から2010年代前半までの、ある空気、それは写真と言葉によって語られている、が閉じ込められているように思う。今はきっとアンドプレミアムとダンチューと他何かの雑誌に継承されているのであろうその空気を時々懐かしく思い返す。しかし一方でオリジナルは別のところに進む。リニューアルした当初からかつての雰囲気が失われて寂しいと思う以上にその「別のものになる」ことを面白いと感じてきた。買わないまでも立ち読んでいた。年代的なターゲットと時代の間にあり、役割を終えたのならば廃刊しても良さそうな雑誌という媒体において、中身をまるっと変えながらも、それでも看板を掲げ続けるとはどういうことなのか、という実践(実験)として今のクウネルは存在しているのではないか。「みんな最初は笑っているけど数年したらこっちに来るだろう」というような姿勢も感じる。それで実際に少しずつ動きつつある。ここには何か考えるべき問題があるのではないか。そしてクウネルのような雑誌が、取材が難しかったであろうこの時期に、どのようにどのような誌面を作っているのかに興味があった。あるいは木村拓哉という人がどのように写されてクウネルという雑誌の誌面に存在しているのかにも興味があった。いつも色々に興味がある。中断。