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  映像研究

そういえば

・202004201727。日記。家族を車で少し離れた駅へ送り、帰りに市役所で印鑑証明。帰宅して洗濯しながら朝食。午前のうちに業務的な連絡と少しの作業。昼前に少し語学、実家に電話、昼食はショートパスタを茹でてビーフシチューの残りと一緒に食べる、ラジオでニュースを聞きながら。午後は一ヶ月くらい前に購入(輸入)して全然開いてなかった本の自分の研究に関係ある箇所の翻訳。スキャンしてOCRしてGoogle翻訳にぶちこむ作業。その後少し文字起こし作業。再び業務連絡。ひと段落してストレッチ。収入の計算。どうしたって落ち着くにはほど遠い日々を、たとえばこのようにして継続している。

 

・そういえばAmazonプライムビデオに加入していれば、エドワード・ヤン牯嶺街少年殺人事件』という映画を観ることができることを知る。その映画を観ていない状態を脱したい。今の生活においてそれを4時間観るだけの集中力が続く気がしないが、今でなければ観ることもないのではないか。こうして他人(たとえば学生)には「映像を見る」ことをお勧めしながらも、自分は一向にそのような気持ちにならないのはどうなのか。短くない時間、ひとつのスクリーンを見続けるという経験とは何か。いまの生活に身を置いた上で、そのように問うてみることもできる。

 

・今日はこのまま読書などしながら過ごすことに決めた。明日からまた金曜日まで一日最低一件のzoom会議的な業務。土曜日にはレギュラー化されたオンライン飲み会(のはず)。一週間後の27日には電車に乗って職場に行くことが確定している。また月末には納車の予定。そうして気がついたら(かつて)ゴールデンウィーク(と呼ばれていた時期)に突入するのだということは予想できる。すべての予想ができていながらも先行きは見えない。