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  映像研究

閲覧席数制限のお知らせ

・202003100915。ここは中央図書館。開館と同時、に少し間に合わず急いで駆け込んだならば、やはりいつもよりも少し人が多いように思う。学校が休校になった生徒や学生の勉強場所となっているのか。会社が在宅勤務になっている人の仕事場所となっているケースもあるのだろうか。そしていつもの閲覧席に席を取ったならば「閲覧席数制限のお知らせ」という紙がデスクライトに貼ってある。「人と人との物理的な距離を空ける」ということが実施された結果、椅子の数が半分になっていた。肘と肘が触れ合ってどっきりするようなアクシデントは決して起こらないような仕様になっているということなのか。それはこの状況において安心して本を読み勉強をするという価値において正しい判断なのだろうと思う。そもそも閲覧席が自由に使えることに感謝したい。

 

・それで、今日は3月の10日。時間はあっという間に進む。季節労働が落ち着き、息をついて、日記を書きながら身の回りのあれこれを片付けているうちに、一ヶ月が経過した。この数日の間、少し焦りを感じていた。「あ、これはまずいな」と気づいた春の真ん中。もう真ん中だと思った方が良い。そして春のうちにしなければいけないことがほとんどできていないことを確認する。自粛している空気に引っ張られそうになるけれども、それとは別に自分は自分の作業を倍の量、倍の深さ、倍の時間をかけて、進めなければいかなかった。反省する春。作業に入るために中断。

 

・追記。13:00に中央図書館のアナウンス。東京大空襲の日であることから一分間の黙祷。そっと立ち上がって目を閉じる。座っている人も作業を一瞬止める。去年の8月6日あるいは8月9日の原爆投下の日もこの図書館ではそのような儀式を呼びかけていたことが思い出される。そうか、今日だったかと思う。今日は東京大空襲があった日。そして明日は東日本大震災があった日。明日は来られないがきっと明日の14:46にも黙祷はあるのではないか。そうしてこの世界は災害が起こることを記録し続けることによって、毎日黙祷をすることになってしまうのではないかとふと思うが、しかし祈りとは日常的な行為でもある。ある意味で「毎日黙祷」は自然なようにも思った。今日は自分の結婚記念日でもあった。色々な種類の色々な時間に向けた祈り、あるいは念がある。