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  映像研究

折る・返す(そういえばと思い出すについて)

・あとから書いておく記録。2月を折り返す。全部で28日しかない2月は、一週間がちょうど2回で折り返す。4回で終わる。それは紙をきれいに四等分に折るようなイメージ。そのことを思い、毎年(うるう年以外)そのことに軽く驚いていることを思い出す。子供の頃に知った「一月は『行く』、二月は『逃げる』、三月は『去る』」というフレーズが好きだった。「三月は『去る』」と聞くと何故か「猿」が浮かぶことも好きだった。「春一番」も「三寒四温」も、この季節に纏わるフレーズはなぜか面白い。年が明けたと同時に器に注いでいた水がついには際まで注がれて表面張力の限界を超えて溢れ出すようなイメージを持っている春。

 

・2月がもう折り返すならば、そういえば投稿したい論文の締め切りまでももう一ヶ月を切っている。そのことに気づき、そのことに焦り、焦りながらも進める。破れたらそれはそれ。地震が理由か4時くらいに起床してしまった今日だから午前中は主に作業。全体の構成を仮にであれ設定してみたことは大きな進展。構成が立ち上がり動き始めると、論が生き始める感じがある。今日から出来る限り休まず進めたい。

 

・夕方外出して車で中央図書館へ。国会図書館の資料で去年プリントアウトしていなかったページを追加でお願いする。その後そのまま車で八王子の美容院へ行き二ヶ月ぶりくらいに散髪。髪を切られながら昨晩の地震どうでした?などと話す。その会話をしたことで、今お願いしている美容院に通うようになって、そういえば10年くらいだということにも気がつき、思い出し、その時間の長さ、重さ?軽さ??一瞬だった事実についても少し思う。散髪後、夕食のパンとワインなど購入して20:00ちょうどに帰宅。

 

・日曜日の夜だから野村訓市『Travelling Without Moving』を聴きながら夕食。今日のテーマは「しんろ」です、と聴き、そういえば数日前に職場の同僚、後輩?である元学生の現大学生に「大学生の頃、進路ってどう考えてましたか?」と尋ねられて、一瞬ほんとうに何を答えてよいか固まり、肘を90度曲げてからだに引き寄せ手のひらを上方に向けて上に持ち上げる「意味わからん」みたいなポーズ(名称はあるのだろうか)をしそうになりながら、しどろもどろで返答する。「進路」とは。

 

・進む路と書いて進路。大学生からすれば「卒業後」と同じような普通の語として発しただけなのであろうけれども、今の自分には、その「進む」や「路」の意味がうまく掴めない。大学を卒業するはずの年に単位が揃わずかつ何も決まっていないからむしろ機材とか工房とか使えて好都合と5年在学して、卒業のタイミングで大学院に出願しながらも当日試験に行かず、その後アルバイト先で業務を続けながら個人事業を始め、ややありつつ、約10年後に大学院を受験して研究を続け、諸々の労働をしながら今に至る、と言ってみてその路を進んだ経験を伝えることが、大学生が「進路」を考える上で何かの役に立つとも思えない。せめて反面的な何かになれば良いのか。

 

・たとえば地震のあとに連絡をくれた友人たちのグループのひとりひとりを思い浮かべながら「進む路」というようなことを思うとき「その都度何に強く惹かれるかということ」「具体的な事柄の底に流れるその人がそうでありたいと思っている感じ」そして「偶然かもしれない出会い」が、その人の今のあり様を形成しているのだと思う。ただそうして何事かを続けている中で、たとえば30歳前後くらいに「(より)こうでありたい」という思いを実現するための、何らかのアクションが求められていたようにも思う。色々な人たちの道のりを思い、思い出す。いつかまた尋ねられたときのためのメモとして。