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  映像研究

翌日書いた日記

・実写とは何か、カメラで写すこととは何か、カメラとは何か、ということについて、おそらく10代の夏からずっと考えているかもしれない。というのは大袈裟で、間にはもちろん全然別の事柄について考えもしたけれども。仕事と呼べるような何事もなせていないことを反省しきりの夏だが、しかし同時に、同じようなことを断続的に考え続けて、時々思ったことを口にして、書いて、それだけで、死なず、殺されずに、今も在ることを奇跡であるとも強く思う。もう少しアウトプットができるとなお良い。

 

・意味でも、感情の発露でもなく、ただイメージが在ること、信仰でもなく・・・。と考えていたならば、それは取引や、経済や、資本とは関係がない。関係がないのだろうか。ただ見ることと写すことと写したものを見ることだけがあるならばその生活はどうだろうか。ちょうど少し先に上映の機会があるらしい『カメラになった男』という映画があるが、しかし比喩だとして(比喩ではないかもしれない)「カメラになる」とは何か。人はカメラではない。カメラになることはできない。できないのだろうか。それでも「カメラになる」ことを夢見る意識を宿すことがある。

 

・この映像も何度も見返してきた。

 


イメージについての絶望