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  映像研究

20170809

 
・どういうわけか、もう書かなくてもよいと思うと書こうという気持ちになる。あるいは「もう書くのはおよしなさい」と言われたならば、なおのこと書き続けるだろう。誰も見ていないかもしれないことは誰かが見ているかもしれないということでもある。ネットワーク上のパノプティコンは確かに心地よくもあるのだろう。リアクションを求めない言葉を置く練習として。あるいは論文を書くモードであり続けるためのエクササイズとして。


・高橋恭司の写真を見たことからふと思い出したのはヤン富田の音楽だった。ヤン富田の音楽は夏に流れていてほしい。ひとりではない、しかし騒がしいわけでもない、そんな気持ちに寄り添うような音楽が流れていてほしい。先週の業務で必要になりそうだったことを口実にして(実際に必要になった)JBLのポータブル(?)のBluetoothのスピーカーを買って、家にいるときは面白いからそこから音を出す。小さな物体でありながら空間全体に影響する面白さ。本当だったらもう少し大きな音を出したいけれども、そこはご近所に配慮することにする。深夜に蝉が凄く鳴いているけれども。


・高橋恭司の写真を見たことからふと思い出したのは清野賀子の写真だった。時々思い出して見返すような写真集がある。35mmフィルムカメラを手にすると『至るところで 心を集めよ 立っていよ』の写真のことを思うけれども、そこに写された写真を撮るような気持ちには自分は成れそうにない。いや、成る必要はないのだと思う。成ってはいけないのだ、という気持ちすらある。だけれども、そこには忘れることができない過去の時間がある。自分のある時期をそこに存在する写真に重ねようとする。


・「ブログか、」と思って、かつてよく見ていた/読んでいたブログを辿ってみたならばその多くは既に更新されていないかそもそもそこになかった。ネットワーク上の空き地のようなもの。かつて立っていた建築物に想いを馳せようにも、そこに何が書かれていたのか、全く思い出すことができない。データのはかなさを思う。


・写真集に載せられた言葉を読む。2009年に発表された言葉。写経しておこうと思う。

至るところで 心を集めよ 立っていよ
清野賀子
 
80年代の終わりから私は次第に編集者に飽き、写真を撮りだした。言葉に、特にレトリカルな言葉に限界を感じていた。それでも、思想家の言説が今より力を持っていたところもあった。アメリカのある批評家が「歴史が終わった」と言ったとき、私たちにはまだ始まりもないのに、と冗談を言いあっていた。エコとか、スピリチュアルとか、そういうマーケットもまだ用意されていなかったし、次があるということが考えられないわけではなかった。何かが積みあがり、生まれ出るということが不可能という感覚はすでにあったけれど、それでもまだ、ある種のすきまのようなものは感じられた。

今はすべての焦点はもう結ばない時代がきている。寸断されバラバラなものになっていて、それがいっそう強くなっている。誰にとっても、現在は拡散していくものになっている。写真が結ぶ像の中に一体なにがあるのか。写真は記憶、歴史、物語、情緒、といったものだけを提示するメディアではないと思うし、そういう写真は好きではない。
 
もう「希望」を消費するだけの写真は成立しない。細い通路を見出して行く作業。写真の意味があるとすれば、「通路」みたいなものを作ることができたときだ。「通路」のようなものが開かれ、その先にあるものは見る人が決める。あるいは、閉じているのではなく、開かれているということ。ある種のすがすがしさのようなものがあればいいなと思う。
 
メディアははっきりとあたらしいものを提出することなどもうできない。写真だってメディアなのだけれど、それでも「通路」を見出す作業をあきらめられない。生まれては消えて行く、猛スピードで明滅するこの時代のスピードに、言葉は追いつけない。ある段階でその閾値を越えてしまったように思う。写真はそのスピード感を掴まえる作業に向いているけれど、実は誰もなにも掴まえられないのだ。それでもあきらめず、「通路」を見出し続けることが大切。いや、大切とすら本当は思っていない。