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  映像研究

20170808

 
・そういえば先々週はすごく久しぶりに神保町に行った。場所が変わったジャニスをチラ見して、目的はtetokaでやっていた高橋恭司の展示。写真について考えることが「物」や「存在」について考えることにもなる、そういう体験ができる展示だった。何かをある空間で見ることの経験の固有性。思わず自分もどこで展示することを考えてしまった。いつか自分も何かを「展示」することがあるのだろうかと考えてみて、そういえば去年の今頃にはまったく予期しない流れで大学で開催されていたイベントに映像を展示したのだった。あるいは2013年には全然予期せず上演作品らしきものをやってみたこともあった。生きていれば予期せず人は展示をする。


・それで今日も図書館で読んでいるあるいは書いている。しばし色々なことから離れて世界からサテライトして読んだり書いたりする、そのことの幸せを思う。朝9時に車で図書館に来て午前中は昨日までの作業を思い出しつつ、今日の作業の目標を設定する。お腹が空いたら近くのコメダ珈琲まで歩いてランチ。午後は(止むを得ず)少し昼寝を入れつつ引き続き作業。少しインターネット&連絡。夕方になるとお腹が空くけど外に出ると集中が切れるから図書館のカフェゾーンでケーキセット(冷房でやんわり冷えているからホットコーヒー)。その後2時間くらいがラストスパートで、今は201708081930。こういう時間を一週間に2.5日作ることが当面の目標。


・考えることや文章を書くことは本当に筋肉を鍛えるようなことに似ている(筋肉を鍛えたことがないからわからないけれども)と思うのは、それが数日時間を空けてしまうとすっかり忘れてしまうからだ。だから考えることや文章を書く人は、つねに考えつねに書き続けなくてはいけないのだと思うと、その途方もなさに恐ろしくなるけれども、しかし当面できる限りそれをしなくてはいけない。たとえば去年のこの時期に「業務の合間に少しずつ」とか思って読んでいたけれども全然意味を取ることができなかったボードリヤールの『象徴交換と死』を読み、またその仕事で目指されていることが朧げながら掴めてきて、なおかつそのことと写真の問題、そして権力の問題が緩やかにある領域を形成しつつある、この感覚は久しぶりで楽しい。集中的になにかをすると面白くなってくることを思い出した。