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  映像研究

やめられない

 
・再開、ここは中央図書館。


・「中央図書館」という響きは良い。多摩地区で生活することが多いからか中央図書館はたいてい公園に囲まれていて、海に浮かぶ客船のようにどっしりとしている。アイスコーヒーとかも飲めて日に焼けたVHSの背表紙を眺めたりしていると時々子どもが大きな声を出して怒られていたりする。時々昼寝する。今日は雨が降っているからなおのこと静かなのも良かった。夏休みの宿題をする。


・しかしそうして「宿題」というていのロールプレイにも限界があるのだった。(当然のこととして)たとえば同僚は研究活動を「仕事」と言っていて、はっとした。自分にとっては研究は「仕事」とは思えないのだった。限りなく趣味に近い「学び」か。いつかそのことを「仕事」と呼べるようなときが来るのか、来ないのか。一方で学校で授業をすることは「労働」なのだった。あるいは限りなく趣味に近い「活動」か。趣味とは何か。その趣味という言葉の呑気さに耐えられなくなったならば、開き直って「楽しみ」と言ってみる。すべては、限りなく楽しみに近い何かだ。


・オンラインでニュースを読んでいると障害者施設の職員についての記事があり「職員はやめることはできるが、障害者はやめることができない」という記事の一部が目に入ってきた。その言葉の前で何かを言うことができるのか。一方で労働をやめることができずに死んでしまう人がいる。その事象の前で「逃げるべきだった」と言うことは当然であり必要であると同時に困難だ。「やめればいいのに」という言葉を本気で発するタイミングは確かにある。他者にあるいは自分に。