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  映像研究

A型

 
・A型です、と宣告されて人は半強制的な休業状態になる。絶妙に困ったしかし絶妙に奇跡的に致命的ではないタイミングで人生初のインフルエンザと診断されて、それだけはもう仕方ないと思う。家から歩いて数分の木造平屋の診療所の医者は「神様が与えてくれたお休みだと思いなさい」と真顔で言う。信じられないならばテスターをスマホで撮影するもよしと笑顔で言う。『ディア・ドクター』の鶴瓶的なニュアンスもないことはない。いずれにせよその言う通りに休むより他になかった。タミフル麻黄湯で攻めてみる。はちみつ100%の飴も舐めてみる。そこから丸一日は熱と痛みで記憶が朧げでもある。


・ようやく体調も一段落して明日の日曜日は業務に行かなければならないのだから、今日土曜日が唯一医者の言うところの「神様が与えてくれたお休み」を享受できる。部屋でおやつを食べながら宿題をする。部屋でおやつを食べながら宿題をする幸福。あるいは一瞬外出してコンビニで『popeye』と『GINZA』を購入する。popeyeのコムアイという人の連載も面白いけど最近のGINZAを読む時の、この気持ちをどう言えるだろう。あらためて言うまでもないことだと思いつつ(どうしても思い出したいのだと思う)それは90年代の、ある時間、具体的な、あの感覚、例えばあの店に初めて入った時だとか、あの音楽を初めて知った時だとか、あの雑誌を初めて手に取った時だとかの感じを思い出す。そして何かそういう感じが今の自分にとっての手がかりになる、そういう予感がある。


・全然別の、でも全然別ではないこととしては、久しぶりに思い立ってAppleMusicで色々聴いていて、最近のアート・リンゼイとかずっと聴きたかった小西さんのPIZZICATO ONEなど、どうしたってあの感じ、エアコンが効きまくったWAVEの感じ、背伸びしていた自分の感じを思い出さずにいられない音楽を聴く。そして某ページで小西さんの2016年に観た映画のリストを見る/読む。なぜかこのリストを毎年楽しみにしている。こうして名画座で一年に何百本も映画を観ている人がいる、ということが自分にとっては、何か安心するような気持ちになるのはどういうことだろう。自分もいつかそのような生活をしたいと思っているということなのか、どうなのか。