&

  映像研究

準備をする

 
・準備のために書く。いま考えることをそのまま書いてみる。


・先週で一年間の業務がひと段落する。サービス業務を逆手にとって「しても許されること」をしても許されるギリギリまで攻め上げてドロップした。季節労働あるいはロングラン公演の終わり。終わってしまえばなんてことはない。打ち上げは同僚チームで寿司。お互いのパフォーマンスを讃えあって解散。翌日からは自分の時間が(少しずつ・緩やかに)始まる。春からの自分の生活が少しだけ新しくなって、新しいことは楽しみでしかない。出来る限りの休養をして、出来る限りの準備をして、また新たな試みを始めたい。


・例えば完全に新しい生活を始めた4年前。2013年の3月のことを思い出してみる。何かから逃れるようにして、しかし同時に新しいことだけを見ようとしていた時の点があった。それと同じだ。あるいはそれ以上の。


・業務先で管理職にある人と話をすることになり待遇の希望その他諸々について質問されたけれども最終的には「お金はいらないので時間をください」と言ってみた。こんなに好き放題やって、貰える金額はこれくらいで妥当だと思う。そんなことよりも自分のためだけの時間を必死で捻出しないことには新しいことは何も始まらない。気がつかないくらい地味な時間の積み重ねが必要だ。何かを理解するまでの、何かが浸透するだけの、何かが沸騰するくらいの、ひたすら「時間」が必要だという(暫定的な・しかし当然の)結論に至った。電車の中と病院の待合室でしか本を読んでいない状況を、人は「研究をしている」とは呼ばない。別に誰がどう、呼ぶ・呼ばないはどうだって良いけれども。


・しかしそのようなことを考えて、まずは細かい準備をすることも楽しい。部屋を片付けるなど。macbookを新たに購入することを考えたが、まずはデータを整理して、OSをアップデートして、メモリを増設して、この環境を使い倒すことを優先しようと思う。いまある環境を総動員してやれることをやる。そういう心境になったのは久しぶりのことで、そういう心境になると何かのスイッチが入ってしまって、目が覚めている間じゅうずっと洋服のことばかり考えるようになる。特に変な洋服。


・洋服に限らず、やりたいことを・やりたいように・やることを考えてあるいはしてみて、そこで初めて「テーマのようなこと」が立ち上がるのかもしれない。気がつけば暫くの間ぼんやりと浮かんだ「テーマらしきもの」を結果的にスルーしてきたという意識があるけれども、それはスルーされる程度のことでしかなかったのかもしれない。何よりも重要なのは、自分にとって「切実なこと」と「きらっとしたこと」が交わるような感覚で、それがそろそろ見えそうな予感はしている。そしてそこで「より見えそうな状況に持っていく工夫」が必要でもある。本当に自分のためだけのメモもまた準備あるいは練習として。