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  映像研究

時間が消えた

 
・時間が消えて今。イルリメの『トリミング』を聴きながら午前3時の今。今は2017年の1月8日の明け方で音楽を聴きながら日記を書いている今。前にメモを書いたモスバーガーとかルパとかからちょうど一ヶ月が消え去った。そのことに驚く。いつか10年くらい経ってこの時期のことを振り返ったならば「このこともこのこともこの時期に同時にしていたのか」と感慨深く感じるかもしれない。振り返えることができる未来とは何か。


・飛び去った12月上旬には、中野サンプラザ水曜日のカンパネラのライブに行き、何かエネルギーのようなものを得る。あるいは同じ日には『この世界の片隅で』という映画を観にいって、何か考える手がかりを得る。二度の忘年会も良かった。吉祥寺の日本酒が美味しい店と自分の家。いわゆるひとつの「気のおけない友人の会話」から、何か知識でも思想でもない強い気持ちを得る。あとは業務。


・正月はキラキラしていて一瞬で終わる。


・アパートだから本当は微妙なアラジンストーブを焚いて本に囲まれた部屋で今。自分のことは自分で決めなくてはいけないという当たり前のことに時々気づいて、はっとさせられる。どんなことでもそうなのだ。例えば今日は定期的な散髪に行ったけれども、例えば全然自分がしたことのないようなヘアースタイルにすることだってできるのだし、もっと根本的に珍しいスタイルにすることだってできる。なんだってできる。新しい衣料品を購入することは、それによっていかようにでもなる自分自身を確認するための行為なのだとも思えるし、ほとんどの本を読むことは、この現実以外の、別の人にとっての現実や、あり得たかもしれない現在や、偶然にも経験しなかった過去を追想するためにあるのかもしれない。恐ろしいほど自分で選んでいる。


・持っている茶色の革靴をすべて磨いた。何度も貼っている曽我部恵一『土曜の夜に』に思い出して、今日も「土曜の夜」であったことを思い出す。「思いっきり走り出したい/思いっきり叫び出したい」という歌詞。


・自分が思っているよりも「思いっきり走り出したい」あるいは「思いっきり叫び出したい」。消えてしまった時間を思いながら。特別な理由がなくとも。身体と時間と場所が一致してある状態になれば。あるいは思いっきり遠くに行きたいし、思いっきり本を読みたいし、思いっきり毎日弁当を作ってみたい。そういえば年末には友人に教えてもらって土井善晴という人の『一汁一菜でよいという提案』という本を納入して読んでみたのだった。食べることと料理することと食材についての考えが少し更新された。