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  映像研究

習慣について

 
・少し間が空いてしまった。作業を進めている。作業の合間に業務。それが自分にとっての習慣だな、どうやってそのバランスを保ちつつ少しずつバランスを変えていくべきか、とか考えていたところ、同僚から『天才たちの日課』という本を「遅い誕生日に」「日々作業をしていると思うから」という理由で戴いた。人から本を貰うなんて。しかも自分の今の状況も鑑みて。と大変有難い気持ちで帰りの電車で読む。日々の作業を習慣づけることが苦手な自分にとってむしろ救いになるような本だった。テキストでもお話でもない本。


・でも時に体調に不安を感じたりもする日々の生活をもう少し習慣づけなければと、年齢相応のことを考えないこともない。友人は走り始めた。体重を管理している友人もいる。運動のための運動というのがどうにもしっくりこないけれども、しかしそうとばかりも言ってられないのかもしれない。そういうことが回り回って快適さをもたらすのであれば、さて自分は何をするべきかと考える。


・ニューヨークに半年行っていた同僚が一時戻ってきたならば、久しぶりに集まって歓談。その生活の自由さに触れることで、何かを考えたりすることもある。得るものがある。「どこにいたって同じ」というのは簡単だけれども、やはり違う。


・そして天才とも努力とも無縁な自分にとって、しかし、自分の知っている限り、本当に賢くて、本当に目標に向けて丁寧に仕事ができる人の、その仕事に触れると、何かを正すような気持ちになる。そういうイメージや言葉に触れるとはっとする。あるいはそれが月に一度送られてくる野菜だとすれば、それを食べることは何かを思い出すことでもある。中断して作業。