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  映像研究

書いていた

 
・一度書いていた内容が消えてしまった。


・土曜日は朝から実家のある清瀬へ。父親の退院。父親は他の人のことのように妙にてきぱきと荷物をまとめていて、母親と親戚の伯母さんと出張で東京に来ていた従兄弟と、荷物を持って車で家に帰った。普段会わない人と普段いない場所にいることの不思議さを思いながら自分はまた別の場所へ移動した。そういえばその入院から退院までの間、20日と少し、何となく自分は日記を書くようにしていたのだけれども、それはもちろん全く個人的な備忘録でありながら、しかし全く完全に個人的な備忘録としての「10年メモ」の数行の文章とはまた違う。


・それは願掛けのようなものかもしれないし、あるいは、何かはっとするような出来事から意識を少し離そうとするようなことだったかもしれない。そして何が記すべきことで、何が記す必要のないことで、何が記すべきでないことなのかが、わからなくなってしまった、そのわからないことを、わからなさを自分の意識の記録として記しておきたかったのかもしれない。そしてそれまでの日常が壊れてしまったように思った時に、しかしそのように考えることもまた、それまでの時間の連続のなかにあるのだと考えるためのきっかけとして記していたのかもしれなかった。


・そこまで考えて/書いて、色々なことを忘れた。2011年の3月に、例えば自分は何を書いていたのか。その時に記すことはどのような行為だったのか。思い出していたかもしれない。


・午後からは東京造形大学で開催されていた「日本映像学会」という会のシンポジウムを聴きに行く。色々な場所へ行けば色々な人に会う。そして色々な人に会えばその色々な人たちは大抵何か面白い試みを持っているのだからそのことに力を貰う。その会場で手にした冊子から考えたこともまた2011年の3月のことだった。


・『シネマ2 時間イメージ』をもう一度読んでみたいと思っている。映像について考えるということだけでもなく、映像で考えるということだけでもなく、映像をきっかけにして考えるということだけでもなく、とりあえず傍らに映像を置きながら、考えているかもしれない。時間は流れる。