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  映像研究

GWは過ぎ去った

 
・ゴールデン・ウィークが過ぎ去ったということを文章化することは、言葉を記すことの練習である。あるいは素朴に2015年のゴールデン・ウィークというものを、その感じを、覚えていたいと思いながら、言葉にしなければ、どのような記憶もあっという間に消え去っていくことを、ふと恐ろしいと感じたから書いてみる。人はそれを備忘録と呼ぶのか。いかにいびつな言葉の連なりも、ある特定の状況では、はっきりと意味をかたちづくることがあるかもしれない。備忘録。


・少し遡ってゴールデン・ウィークのはじまり、4月の29日には横浜美術館に石田尚志という人の展覧会を観に行き、そしてゴールデン・ウィークのおわり、5月の6日には前橋のアーツ前橋へ小泉明郎という人の展覧会を観に行く。どちらも全然違った感覚で、しかしどちらも自分のあり方に何かを訴えかけてくる作品があった。現代美術における記録性/ドキュメント、ということからはまだまだたくさんのことを考えることができるように思う。映像メディアによる記録それ自体を問うことが美術の仕事の中でなされることはあるのだから、その思考/試行の中のいくつかを辿りながら何事かを考えてみたい。


・ゴールデン・ウィークのそれ以外の日は基本的に家で本を読んでいたかもしれない。アメリカの戦後の美術と分析美学についての文章を読んで、何かの手がかりを得ようとする。何かを読んでいるときにふと「ファウンド・フォト」という語が浮かび上がってきた。「combine」ということを考えた時だったか。「combine」でも「コラージュ」でも「アッサンブラージュ」でもなくて「ファウンド・フォト」ということを真正面から考えてみるのはどうだろうか。目には入っていたにもかかわらず、これまで焦点を合わせてこなかった言葉が浮かび上がってくることもある。ゴールデン・ウィークの収穫。


・一方でどういう繋がりだったか謎だけれども「1978年くらいのセブンイレブンのテレビCM」というものをyoutubeで見ていた。店員を演じる人物が「朝7時から夜11時まで開いています」と言っていた。客を演じる人物が「開いててよかった〜」と言っていた。コンビニエンスストアにも開いていない時間があったのだということを思うあるいは思い出す。それはたった30数年前のことだ。現代では「開いててよかった」どころか開いてなかったら一大事だし、開いてなかったら炎上だ。そしてまた「2010年くらいのセブンイレブンのテレビCM」というものを見れば、そこにはすっかり別の映像があった。BGMで流れる財津和夫の『青春の影』の歌いだしは過去形だ。おそらくは東京から遠く離れた、どこかの風景が映し出される。


・またゴールデン・ウィークには自分の住んでいる場所から少し離れた隣町の隣町くらいの場所を歩いてみる時間があった。普段は電車から見ている地形を自転車あるいは自分の足で歩いてみることで感じることにも意味がある。