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  映像研究

なおも記録すること

 
・記録することから離れているとあっという間に時間が経つ。つねにネットワークと接続されていても、デジタル機器を使ってテキストや映像で記録するかどうかはわからない。日々の必要なコミュニケーションと記録することは別の事柄だ。検索履歴は記録になるかもしれないけれどもすぐに消してしまう。図書館で本を借りた履歴は自分の研究にとって必要な記録かもしれない。「はてな」を使っているとネットワークの気になる情報は「ブックマーク」をする。そのこととつぶやいたりシェアすることは別の事柄だ。人と会って近況を話したりすることももちろん別の事柄だと思う。


・6月19日の金曜日の夜に久しぶりに国会議事堂の前へ行く。SEALDsの人たちが呼びかけているデモンストレーションにはじめて行くことができた。不安と疑問を可視化する。ひとりでも多く集まることに意味があるような表現がある。


・久しぶりに「映像編集ソフト」というものに触ることがあった。いくつかの断片的な映像素材を繋ぎ合わせて一つの時間のまとまりが生まれることには独特の感じがある。それ自体はつねに面白い、もちろん「久しぶりに」それをするのだから純粋に「面白い」と感じられるということもある。しかしそういう感じで何かを扱うことで別の何かを進める上でのヒントが掴めることもある。具体的には映像編集をすることから文章を書く時の何かポイントのようなことがわかるような気がしている。こういう感じもまた日々の慌ただしさにかき消されてしまうのかもしれないけれども…。カメラでも楽器でも、道具はそうした感じを掴むためのヒントになる。あるいは言葉を話すことも。