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  映像研究

熊本初上陸の旅・2日目

 
・熊本初上陸の旅・2日目の備忘録。8時過ぎに起きたならば窓の外では強い風が吹いていた。twitterを見てみたならば東京では電車が遅れたり、あるいは電車が止まったり、そして何かが延期になったり、何かが中止になったりしているらしいということがわかる。そのような情報を東京から離れた場所で知ることもまた新鮮な体験であるような熊本にやってきた2日目。



・本日は熊本の南西部の三角(みすみ)という場所にあるというエコ・ビレッジを見学しにゆく社会科見学的な旅。「移住」という言葉がいつよりも日常的に使用されるような2012年の今。東北やあるいは関東から、関西やあるいは四国や九州へ引っ越す人たちがいる。または「生活の拠点」というコンセプトを考え直してみる人たちがいる。そしてそのような人たちは新しいあるいは継続している生活を進めて行く上で、今までの生活の中では当たり前だと思っていた色々な事柄を点検するのかもしれない。あるいはそれほど大げさではなくとも、よりよい生活がどのような事なのか様々に工夫にしてみるかもしれない。そしてそれは東京でも、他の都市部でも、どこでも、本当は同じことなのだと思う。同じことなのだと思うけれども、そのように「今までの生活の中では当たり前だと思っていた色々な事柄を点検してみた結果(あるいは過程)」が目に見えやすい場所として、例えば「エコ・ビレッジ」と呼ばれるような新しいコミュニティはあるのかもしれない。そしてその場所から考えられることは沢山あるように思う。



・そのような気持ちで(個人的には)出かけてみたのだった。T邸から車で1時間ほど走ると(とは言え運転は完全に任せているので途中は寝てたからわからない)街道から少し入ったところに看板を発見する。それで細い道に入り、その先の集落を抜けて山道に入り、尚も進み不安になりかけるような場所に、その場所の入り口がある。



・山の上から海が見えるような気持ちのよい場所だった。その場所を呼びかけている人はT夫妻とも知り合いだったので、中を歩きながら色々教えてもらう。パーマカルチャーの考え方を取り入れた農地や鶏を育てている飼育小屋を見せてもらった。生活の中で使う色々な物を作るための工作室や陶芸室を見せてもらった。「パール柑」という初めて知る柑橘類を貰ったりした。音楽を演奏する場所があり、食事を作る場所があった。そして建物をこの先どのように作り直しあるいは作りかえていこうとしているかという構想を聞いた。そのどれもが工夫の結果と過程としてあって、そして新しくもあり継続してもいるようなアクティヴィティの最前線としてある。きっと普通に普通なこととして古今東西色々な場所の文化の中で生まれた生活の知恵のような事を学んでいるのだと思う。必要だから学んでいるのだと思う。その学んだことを工夫として反映させているのだと思う。きっと学びと工夫はひとつのアクティヴィティの中にあって、きっと学びと工夫はいつもフィードバックし合っているのだと感じた。



・そういうどこにでもあれば良いのになぁと思うような場所を後にして、旅行者である自分は今日もまた昨日とは違った温泉に向かう。温泉に向かうことが目的なのではないかとふと思ったりしないこともないけれども、やっぱり温泉は良い。温かいお湯が出放題なところが良い。三角から更に足を伸ばして天草という島(島なのだった)に向かう。大きな橋を渡ったならばそれまでとはまた少し違う風景が広がって春の嵐の中また知らない別の場所へ。「湯楽亭」という洞窟の中のお風呂が珍しい温泉を堪能して帰宅。



・帰宅したならば夕食。3日間の旅行なのだから2日目の夜は即ち最後の夜になる。熊本の名産であるところの馬刺と辛子蓮根でご飯を食べる。そして焼酎も飲む。そしてまた今夜もまた別の新しいあるいは昨日までの続きでもあるような話をする。住む場所と仕事について。あるいは「家族」について話をしていたのかもしれなかった。話をしながら、または話をしたことをぼやっと思い出しながら、それはまた去年の春からの時間の流れや距離を考えさせるきっかけにもなる。去年の春には何人かの人が集まれば「同じ話」をしていたのだった。というか「同じ話」をしているような気持ちでいたのだった。誰もにとって共通の出来事であるような大きな出来事があった。何かを考える根底に、方法に、方向に、直接介入してくるような大きな出来事があった。そうしてそれから一年が経ったならば、大きな出来事は大きな出来事として変わらずにありながらも、何人かの人が集まれば「個別の話」をしている。別々の時間を過ごして、別々の仕事をして、別々の場所に住んでいるのだから、別々の方法や方向の話をしているのだとふと思う。



・少しだけ真面目。大抵は爆笑。恐らくは28時くらいまで色々に話してみたりした。話は尽きない。それでも寝る。寝ることでとりあえずのピリオドが打たれる。別々の身体を休ませる。いつかまた話し出す。誰にそうするように促されなくても会話を始める。始めるだろうと思う。あるいは待ち、望む。それは相当に良いことだと思う。普段生活している場所から離れた明かりの少ない場所で寝る。