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  映像研究

2012年2月のある週の日記・その6

 
・土曜日の端的な日記。久しぶりに特殊な緊張感を味わう日の記録。緊張するのは嫌だけれどもしかし時々ならば必要なことなのかもしれないと終わってみるといつも思う。とりあえずひとつの山を越えたのだからもう春が来たことにする。今、この瞬間から、春。そう決めたならばやることは/やりたいことは沢山ある。色々な場所に行って色々な人に会おう。何かを作りたい。作ると同時に直す。アイリッシュ・セッターを修理に出したように、適切な方法で、可能なかぎり直す。作り、直すこともしたい。作り、直し、続ける、ことをしたい。そして写真を撮影することは具体的な目の前の物をしっかりとよく見るということなのだと思うから例えばそのようなこともしたい。そしてそれは、作る物も/作り直し続ける物も/よく見る物も、ある意味では「何でも良い」のだと思う。ラッキーなことに目の前にある何か、を感覚することから(再び)始めるしかない、というこれは(これも)何の話だろう? そのようなことを考えながら差し当たっては、作る物としてのピクルスと、勝手に伸びる物としてのストレリチアを見る(庭に植えてたストレリチアは春になるまで避難させていた)。見ることとともに春がやってきたならば、その結果として/あるいはその結果とは関係なく「2012年2月のある週」は終わる。