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  映像研究

声とからだ、子供と強ばりとシェアー(巻き舌)

 


詩×劇 つぶやきと叫び−深い森の谷の底で
作:和合亮一(「詩の礫」「詩ノ黙礼」による)
構成・演出:篠本賢一

・7月7日の木曜日はどうしたことか母親から上記のような舞台があるから行かないかとの誘いを受けて、それを観るために昼過ぎの高円寺へ行く。平日昼間の劇場の年齢層は高め。どのような人が観に来る種類の公演なのだろうと思いながら観劇。年齢の様々な男女合わせて十数名の役者が、和合亮一という人の詩を朗読し、そしてまたその詩から派生したのであろう、短い場面が演じられる内容。そしてその詩はtwitterに書かれた3月11日以降の言葉だ。4月上旬までの約一ヶ月の間に書かれた言葉が、日付にそって11のシークエンスとして並べられていた。



・その詩に、言葉に対して、何か感想を述べることが難しいような詩だし言葉だ。大きな事象に巻き込まれた人が、その巻き込まれる当事者でありながら、当事者であるままに書かれた言葉の辛さ(としか言えなかった)をしかし、役者である朗読する人が、声にすることの不思議が約2時間、張りつめたテンションで持続する。しかしその持続するテンションのなかにも、集中が切れてしまったような妙に明るい場面や、書く主体に対して極端に強い意識が向かってしまう瞬間のような場面が置かれる。「放射能」という言葉が発音され、「余震」という言葉が叫ばれる。



・全然関係ないけど、個人的に最近「からだが強(こわ)ばる」ということが気になっていて、ともすればそれはスピリチュアルな言い方になってしまうのだし、身体にまつわることをそれそのものとして言葉にしてしまったならば、あまりにも個人的な感覚の話になってしまうようにも思うのだけれども(そしてそれは/少し憚られる)、しかしながら、どうしたって、今までとは違ったような長い時間を通じて、今までとは違ったような種類の緊張を、今までとは違ったような多くの人が受けているように思えるのならば、もしもそれがそうであるならば、それが今後どのようなかたちでだかわからないけれども、ある身体的な状態として現れたり表れなかったりするのではないか、あるいはその身体的な状態がきっかけとなって、人と人との関係が変化したり、人の集合であるところの社会の出来事として現れたり表れなかったりするのではないか、というようなことに関しては、ついこの間のジャズ・ミュージシャンの人の「女性編集者についての日記」を読んだりしたことからも、最近特に考えたりする。



・そしてその「からだが強(こわ)ばる」ということが、舞台上の役者のからだにどう現れるのか、表れないのか、ということがその演劇の最中に、ふと気になっていたのだけれども、もちろん舞台の上の役者は、声やからだをつねに鍛えているのだろうし、その役者自身のからだに「この数ヶ月で起こった変化」のような事はないように思えたけれどもどうなのだろう。あるいはまたその鍛えられた声やからだによって「強(こわ)ばりを再現する」、つまり長い時間を通じて、今までとは違ったような種類の緊張を受けた人を演じる、というような事が試みられていたかといえば、そういうこともないように思えたけれども、それはむしろ良かったようにも思える。それはあくまでも「詩を朗読する」ということに限定された行為であることに、何というか、安心した。



・全然関係ないけど、ここ最近考えるのは「ティーン・エージャー」についてだったりもする。業務の関係で継続的にティーン・エージャーと呼ばれる年齢のキッズたちと話したりする機会があるのだけれども、ティーン・エージャーと呼ばれる年齢のキッズたちにとって、3月11日以降の様々なことはどのように理解されるのか、あるいは今後どのように様々な選択の判断の材料になるのだろうか、とぼやっと考えたときに、普段ならば自分は全く「成人」ということを、文字通り意味通り意識しないのだけれども、もしかすると、このような状況では、ティーン・エージャーと自分の立場の違いがはっきりするのかもしれないな、というようなことを考える。



・ついこの間の事。どういう話の流れだかティーン・エージャーである、その人たちにやんわりと「自分が生まれてきた/生きている時代をどう考えているか」というようなことを聞いてみたならば(質問したわけではなく/あらかじめそういう話をしていた/そんな素っ頓狂な質問はしない/でも時々はする)、非常に明確に「未来に全然明るい材料がない」と言葉にするのを聞いて、それはいつでも・どこでも・つねに繰り返されてきた種類の、役割としての、定型文としての、特権としての、古典芸能としての「ティーン・エージャーのぼやき」なのか、そうでないのか。少し考えた。それはつまり自分だって10代の頃には、きっと「未来に全然明るい材料がない」とか言っていたような気がしないでもないことを考慮したならば、そしてあらゆるジェネレーションが、ある段階で、同じような言葉を繰り返してきた可能性を考慮したならば、それは何でもないことなのだ。何でもなくは全然ないけれども、いま考えようとしていることとは別のことなのだと思う。



・そのことをきっかけとして、しかしその言葉と関係があるのかないのかわからないくらい考えは、あっちにいったり、こっちにいったりした結果、いま考えているのはもう少し単純なことで「ティーン・エージャーは自分が住む場所を選べない」という、言葉にしてみると本当に当たり前の、あっさりとした、事実だ。そうしていま自分は、そして自分の周りの多くの人は「自分が住む場所」について考えている。そして「住むこと」や「生活すること」から思考を立ち上げて、それを表現にしたりしなかったりする。しようとしている。それは「あらゆるジェネレーションが、ある段階で、同じような思考を始める(20〜30代で「生活」について考え始める)」ことに加えて「住むこと」「生活すること」について、考える(場合によっては「考え直す」)必然性が、突然、圧倒的に、生まれたから、なのだとしたら。それに対していまティーン・エージャーと呼ばれるような人は、3月11日に起こった事象と、いまだ続いている出来事について、何を、どう、考えるのだろう? と考えたりもする。



・本当に、何と何がどう、関係があるのかないのか、相当わからないけれども、同時に考えているのは、再び「シェア」についてであったりもする。博報堂の雑誌『広告』のシェア特集で気になったのは「シェア世代」という言葉で、それは恐らくは自分のようなジェネレーションの人たち(のマインド)を指し示しているのだと思われるけれども、それがジェネレーションに限定された現象であるならば、それは「団塊の世代」にも「ティーン・エージャー」にも理解されづらい感覚なのか、どうなのか。物凄く単純に考えて、じゃあ例えば「車をシェアしよう」ということになったときに、じゃあ例えば10人くらいのコミュニティがあったとして、もしもその中の全員が車を持っていたならば、車をシェアする必要はまったくない(団塊の世代)。そして同様に、もしもその中の誰も車を持っていなければ、車をシェアすることはできない(ティーン・エージャー)。10人くらいのコミュニティの中で、2〜3人くらいの人が車を持っていて「使うんなら貸すよ」という場合に限ってシェアは成立する(シェア世代)、のかどうなのか。



・仮説です。しかし仮説を立てることからでしか考え始めることはできない。それでしかしこれはもともとは「演劇を観に行ったこと」から考え始めた事柄であったのだった。「年齢の様々な男女合わせて十数名の役者」を観ながら考えていたことでもあったのだった。その舞台の上に「子供」はいなかった。「子供はいないよな」と一瞬それが当然のことであると思って、しかし次の瞬間には「子供だって揺れたよな」と思い直して、その朗読されていた詩を子供が声にするのを想像して「やっぱりちょっと違うよな」とも思うのだけれども、いや、しかし、まてよ、とも考えた。この4ヶ月は、今までのいつよりも「子供」という言葉を聞き、そして「子供」であるということが何かの判断の基準になり、そして大人にとっては「子供」を自分とは違った人間として、考えたことはなかったのではないか、と普通に考える。それはもちろん第一には放射能に対する感受性の問題として。



・「からだが強(こわ)ばる」ことをイメージする。イメージする必要は特にないけれどもイメージした。大人の強ばり方について、子供の強ばり方について、男性の強ばり方について、女性の強ばり方について、そしてそんなに単純に切り分けられない存在としてのすべての人にとっての強ばり方についてイメージする。しかしそこで大人(少なくとも子供ではない)のからだが強ばるのだとしたら、それは「自分は『子供』ではない」ということを意識したことから生まれたのではないか、というこれも完全に仮説です。意識がフィード・バックする、そのフィード・バックが過剰だったのかどうなのか、ハウリングを起こす、そのハウリングのようにして、からだは緊張するのかもしれない。緊張の夏、と書きかけて止めようかどうしようか考えて、途中で止める。