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  映像研究

キリンジを聴きながら夜の新幹線で西へ向かう

 
・おはようございます、と久しぶりに早朝からの業務。業務前にはBERGでモーニング・プレートの優雅な朝。カウンターでふと手に取った用紙には「異質なものどうしの共存に向けて」。うむ。そうして色々あって業務終了。終了後に東京駅から東海道新幹線のぞみ号にて岡山方面へ。引きつづき『超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)』という本を読みながらの3時間半は極めて自由な時間であり空間。限られているが故の自由な空間であり時間でもある。駅弁は発車するなり品川駅までの7分間で間食してしまったのでビールを飲みつつ読書する。



・そうして読書に疲れたら睡眠。あるいは伸びをしてipod。そうだ世間はクリスマスだったと思って聴き直してみたキリンジの『千年紀末に降る雪は』の歌詞の凄さと数百キロの移動のイリュージョン。「ごらん神々を祭り上げた歌も/貶める言葉も今は尽きた」ってもう凄いな。しかもサンタに向かって(?)「悲しげな善意の使者よ」「気弱なその真心は哀れを誘う」とかも凄い。そこから約1時間のキリンジ特集が始まって『Drifter』『愛のCoda』『ブルーバード』『かどわかされて』などキリンジのハードボイルド部分が凝縮されたミュージックを聴きつつ移動。諦めと祈りを含んだミュージックを聴きながら移動。



・そしてまた「砂漠に水を撒くなんて/おかしな男さ」というフレーズを聴きながらも「世界経済」についての本を(理解しているかどうかはさておき)読んでいたのだから、色々なことを勝手に考えた結果として、それはもう余計なことを考えないわけにはいかない。男は何故水を撒いているのか。そしてそれはなぜ「おかしい」のか。1.砂漠にも植物を生やそうと思い、また砂漠にも植物が生えると信じているため。2:「砂漠にも植物が生えると信じている」人であることをパフォーマンスすることで、「砂漠にも植物が生えると信じていない」人に何かを考えさせるため。3:他の何をやっても儲からなくてものすごく暇なため。4:砂漠に水を撒くとモテるかもしれないと思ってしまったため。などなど。