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  映像研究

やりたい事

 
・やってみたい。



・関係してる各所で話題が沸騰中のテレビ・ドラマ『Q10』。例えばその何話かで「人間『欲しいもの』があるってことは『生きてる』ってことだ」という教訓?が叫ばれたり??したならば、うむ、確かにその通りだなぁと思う一方、しかし「欲しい『物』があるってことは〜」と言われるよりは、もう少しやんわりと「やりたい『事』があるってことは〜」くらいだと更に穏やかに頷けるのだがなと思ったりもしてしまう2010年。そしてその2010年もこうして年末を迎えるのだから、その「やりたい事」を書き記しておくことにも何かの意味があるのかもしれない(ないかもしれない)。何かの利益になる「企画」とか、誰かのためにやる「計画」とかでもなくて、純粋に「やりたい事」とは何か。



・例えば先日のフェスティヴァルだって、そもそもは「やりたい事」をやってみるということなのだった。廃校を貸し切って「お楽しみ会」をやるだとかは、退行的と言えば退行的な「やりたい事」であるのだし、あるいは「物々交換」だって、そもそもは数年前に何人かでプレゼント交換の別ヴァージョンとしてやってみて面白かったのだから、やはりこれも「やりたい事」であったのだ。このようにして「やりたい事」をなるべくそのままのかたちで「やってみる」ことには当然のことながら意味がある。「やってみてわかることがある」というその言葉以上に適切な言葉もない。「やりたい事」を「企画」にするのではなくて、ただ「やる」。そのような意味でのポストMM。完全に思いつくままの、これから「やりたい事」。



・1:「一週間くらいテントで生活したい」
場所を決めておいてそこでテントで一週間くらい生活する。可能であればそのテント場の近くで食べ物を調達できると尚良い。事前に来られそうな人には場所を教えておいて、来られる人は来られるときに来られるだけ来る。時々USTREAMとかしてみるのとかも場合によっては可。「米持ってきて」とか言ってみると途中で誰かが持って来る(あるいは来ない)。夜は焚き火を囲んで話す、あるいは歌う。テレホンでもないショッキング。または超・ミニマル・フェスティヴァルとしてわりと実現可能性あり。この場合アクセス的な理由でロケーションは関東近郊が望ましい。わりとMMに連なる「やりたい事」。



・2:「『おもひでPRPR』を上映して語らいたい」
もともとは実はMMの主要なプログラムであったものの、発案者の山部ガールTMさんの早退につき今回は断念。1991年の映画『おもひでPRPR』は(非常にざっくりまとめると)20代後半の女性が、10才の自分を回想しつつ、東北?の農家に嫁いでいくまでのモノローグ的な映画。1982年の風景と1966年(?)の風景が交互に描かれる。これを今恐らくは30才前後であるところの我々が観賞したならば、どのような感想を持つか。東京と地方、30才前後から思い出す子どもの頃、そして2010年(現在)と1991年(映画公開時/我々の回想の時代)と1982年(映画の舞台)と1966年(映画の回想の時代)とは、どのような時代なのかを探る、早すぎた「農ガール」的映画から考える社会学的「やりたい事」。権利は大変なので友人同士の私的な上映。



・3:「持っている洋服を原っぱにすべて並べてみたい」
押し入れを整理していると「あ、こんなのあったんだ、まだ着られるじゃん、ていうかむしろこれ今じゃん」というようなことが、あらゆる家であらゆる季節に頻発。それはそれで面白くもあるのですけれども、だとするならば一度「自分が一体どれだけの衣料品を持っているのか」ということを把握してみるのも面白かったりするのではないか。願わくばその場で新しいコーディネートを発案したのち、どのコーディネートにもコーディネートされなかった衣料品は物々交換に回す。それを貰った人はまたすべての衣料品を原っぱに並べて・・・(以下エンドレス)。原っぱというところがポイント。理由はおしゃれっぽいから。河川敷などでも可。変なことやっているなぁと思って集まってきた人にあげたりするのも可。大掃除よりも大掃除。



・4:「山登りの写真を時間軸に沿って並べてみたい」
1泊2日の山行でひとりが500枚(?)とか1000枚(!)の写真を撮影したりもする山部。当然同じような写真もあるわけだけれども、全然違う写真もあったりする、あるいはまた「お互いを取り合った写真」という謎のキモ写(気持ちの悪い写真)も珍しくないこの頃。それらをタイムラインに沿って、画面を分割するだかして一度に観てみたら面白いのではないか、という優秀なプログラマーを必要とする「やりたい事」。ターゲットにされた山部部員(大抵は良い光が当たっているところに枝的なものを持って立っていたりする)を取り囲むように撮影された写真が(マトリックス…的に…?)馬鹿馬鹿しいシャッター音とともに、いろいろな方向から写し出される。懐かしのメディアアート的「やりたい事」。デジタル写真は撮影された時間も記録されているので可能だとは思うのです。



・5:「セーターを編みたい」「手芸をやりたい」
どこかでそのような話も聞いたことがあるが「編み物倶楽部」を作りたい。いよいよセーターを編むときは近いような気がする。というかすでに「面白く繕ってみる」ことは始めていて、これはわりと評判が良い。橋本治ばりに具象の世界に突入してみるのも良かろう。Tシャツのプリントも面白いが、ズボンを作ったりするのはもっと面白いような気もする。絶妙のテーパード具合で総柄のズボンとかどこにも売っていないので、それはいつか作ろう。可能ならば靴も作りたい(モカシン系から入ってプレーントゥ的なものまで)



・6:「合唱したい」
もうずっとしたい。『Q10』を観たことで再燃。ポピュラー・ミュージック(?って何?)とかフォーク・ソングのような曲を合唱としてアレンジするのも楽しいことこの上ないはず。早くしたい。



・7:「朗読してみたい」
してみたい。しっとりとしてみたい。市民センターとかでしてみたい。キャンドルとかでしてみたい。



・8「(久しぶりに)炬燵で桃鉄してみたい」
してみたい。今の家には炬燵もなく、桃鉄もない。というかテレビもない。



・9:「腰履きしてみたい」
最近してみたい。というか少ししてみてる。



・などなど。



・そういえば『Q10』ではなくて『すいか』では基子さんがお見合いを断って、その断った理由として「私、やりたいことあるんで」と言って「やりたいことって何だろう?」と思うと、それは「ペーパードライバーなのでちゃんと運転ができるようになりたい」ということで、なんだ、そんなことか、と思うのだけれども、その「運転」には「自分で行きたいところに行けること」という意味が含まれていることがわかって、なるほど、というシーンがあったことも思い出す。「やりたい事」はきっといつもそのようにささやかなことで、そしてそれはあえて言うまでもなく「自分が『やりたい事』」なのだった。