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  映像研究

なかなかに秋

 
・なかなかに進行する秋。三温四寒で涼しくなっていく季節に色々なことを考える。あるいは考えずに名残惜しむようにビールなど飲む。



・先週の山行の前には急に思い立って森美術館の『ネイチャー・センス展』を見に行ってきたのだった。「ネイチャー・センス」とか言うからには…と、期待半分、期待しているふうだけどその期待が覆されて文句言うことを期待するの半分で見に行ったわけですが、まぁそういうつもりで見に行ってるわけだからなんだけど、やっぱ難しいねという結論。山行けばいいじゃんて思ってしまった。そういうことでもないのでしょうか。しかし「自然の・・・を・・・として表現してみました」っていう「・・・」に何かを代入するような創作はもう特にいいなという感想。そういう意味で最後に展示されていた『どこでも屋台』(正式名称忘れた)の作品が広い意味で一番、ネイチャーなセンス、に拘る必要もないのですけれども、とにかく何らかの刺激をされた活動だったという感想。


・そもそも展示もまぁそれはそれとして、展示会場をでたところにあった「図書閲覧コーナー」のようなものを視察に行ったところもあったのだった。最近伊勢谷友介という人がやっている『EARTH RADIO』という2010年の東京にあるべきトレンディーなpodcastを興味深く聴いたりしているので、その「リバース・プロジェクト」の一環としてのプロダクトと、一体そこにどのような「ネイチャー・センス」な図書が並べられているのかということが気になって(実際のところこちらは)かなり期待して行ったのだけれども、そちらもまぁなかなかなかんじでした。絶対にもう少し面白いコーナーが作れるような気がするんだけどな、という感想。そしてそのような友だちとビールでも飲みながらするような気軽なコメントがしづらくなってきているのが、昨今のtwitterの特徴でもあります。全然関係ないけど。



・カルチャーのなかに配置されたネイチャーなセンスについて。山部、あるいは隣の山部(もうあまり垣根はない)とともに水面ぎりぎりで計画中の「秋の文化祭」の内容を考えるにあたって、いま既に行われている、恐らくはなんらかの「ネイチャーなセンス」を意識しているであろう集まり、あるいは一部で使ってみている用語で言うところの「ポスト・フェス」でもよいのですれども、ともかくそういったイベント『山のシューレ』とか『スペクタクル・イン・ザ・ファーム』について研究したりしている。こういったイベントは基本的に色々な理由で「フェスというものが馬鹿らしくなった」という発想から生まれているのではないかという仮説。いや、それだけではないと思いますけども。いずれにしても色々な人が「そっちの方」に向かっている。裾野の集まり。


・2010年9月の新刊書店の雑誌コーナーにて。『ku:nel』のオシャレ特集を立ち読み以上の熟読をして、隣の『天然生活』の表紙を凝視して手には取らず、更に隣の『ecocolo』を素通りしそうになって小林聡美が表紙にでていたのでパラパラと読む。しかし、エココロ、意外と攻めてた。フリーガン(?)の記事とかかなり相当に新鮮だったし、坂口恭平という人の連載があり、そして「インター・コミュニケーション」が存続していたならば、きっとそっちで記事になっていたのでは?という内容の、伊藤俊治×中沢新一×港千尋の『山のシューレ』の対談をそれなりにちゃんと収録。すごいなぁ。「自然の叡智」だもんなぁという感想。『カイエ・ソバージュ』と『芸術人類学』を読み返しつつあるいま。とうとう押し入れからICCBOOKSの『移動する聖地』を引っ張り出しもした。実に10年以上前の書物。完全に一周したんだなとか思う。



・そんなことを考えつつ秋。