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  映像研究

晴れた月曜日は本屋に向かい、晴れた火曜日は庭にテントを干す。

 
・怒濤のバック・パッキング強化月間に突入した結果「山とか森とか木とか」以外の事柄を考えるのに、何か使っていない筋肉を使うときのような力が必要とされている。そしてそういうときにはとりあえず「早起き」が有効な一手段だということを私は知っている。早起きしたら美味しいコーヒーを入れよう。そして本を読む…と見せかけて(フェイント/意味なし)記録映像の整理をする。そしてその傍らでコンパクトな備忘録を記す。それが今現在。



20日(月)は、今日は一日を本屋で過ごすのだと決めていた。とりあえず新宿ジュンク堂にて『子どもと昔話』の最新号と中沢新一愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ)』をデパート共通券という魔法のチケットで購入。そしてまた、少し気になっていた『さよなら下流社会』という本も手に取ってパラパラしてみる。とても気になったけれどもデパート共通券という魔法のチケットの魔法が解けてしまいそうだったので、またの機会にする。そしてそれらを手に「新宿駅における文化系部室棟」こと『ベルク』へ移動して読書。「昼間からビールってのも…」と一瞬頭をよぎるけれども、そうすることによってこの月曜日は強制終了するのが目に見えていたので躊躇。


・その後、ちらっとオシュマンズ的な店とエル・ブレス的な店にて、来たるべき「焚き火部」の部活動についてのリサーチ・サービス・ラボラトリー。今やあらゆるところであらゆる面白いことに敏感な人のアンテナが「焚き火」に反応している今日この頃。「山」にも「森」にも反応しない人さえも惹き付けてしまう「焚き火」とは果たして何なのか。その魅力について、民族学的に、社会学的に、美学的に、面白半分で、自由研究したいと思っていたのでした。ただし軽く調べてみたところ「東京都」と「焚き火部」の相性は最悪だ。どうやらこの部活動は、法の目をかいくぐったゲリラ的な活動が義務づけられているようです。って、なんだよそれ。


・その後は中野〜荻窪西荻窪と移動して古書店を巡る。荻窪の某古書店では真夏のビール会談以来のSさんを訪ねプチ近況報告も。更に西へ移動。


・夜は今東京で一番美味しいと話題の某小金井の某カレー店にて秘密の(というほどの大した話でもない)ミーチング。そして超・久しぶりの事務所メンSくんとは主にマウンテンに関してのとても貴重な情報を頂戴しつつ、途中からは「サックス・プレイヤーやメディア・レイピストやハイパー・メディア・クリエイターなどなどが牽引して来た00年代カルチャー」についての意見交換で、すっかり文化系大学生のような懐かしい気持ちになる。あるいはまたここでも、同じように世紀のはじめを体験した人間にとっての、例えば2001年あたりと現在についての、極めて「肌感覚」(「動物的感覚」とかいうとそれはそれでまた違った何かに解釈されるのでしょうか)での意見交換。それにしたってこの半年で「世田谷〜杉並周辺」に住んでいた人の大半が全くの偶然にも多摩地区に住居を移したことには、どのような共通する意識があるのか(ないのか)、というような話。全く不謹慎なアレで何のアレでもないけれども、こういう事柄を「雨が降りそうになると鳥は低いところを飛ぶ」ようなことになぞらえたならば、それはいわゆる「陰謀論」「カルト」「セカイ系」など色々な呼称で呼ばれるヒステリー状態だ。しかしもう少し冷静なレベルで「より生活を面白くできる状況を確保するための戦術」と捉えるのは、申し訳ないけど勝手だと思う。



・21日(火)は同じように早起きをして、やっとのことでテントを干す。「テントのメンテナンスが出来る広さ」というのは、バック・パッキングをする人(キャンプをする人も含む)にとって、居住を選択する上でのひとつの基準になるような気が最近します。ちなみにタイトルの「庭」というのはややはばかられるような微妙なスペースではあるのですが、そこにテント、つまり「もうひとつの家」を干しております。これは、大きくて動かない家と、小さくて持ち運べる家が並ぶ、その様子です。