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  映像研究

10月のバック・パッキング in 金峰山&瑞牆山(2日目・熱闘編)

 
・10月のバック・パッキング vol.3の2日目。テントで目を覚ます感覚にも徐々に慣れつつある。けれどもやっぱりこの寒さ(恐らくは0℃前後かと思われます)には全然慣れない。しかしこのようにして「そうか。0℃のときにテントで寝袋で寝るというのは寒いのだな」ということを自分は知らなかった。知らなかったこと、を知ること、は良いことです。特にそれが「寒い!」とか「美味い!」とか「臭い!」とかいう感覚ならば、尚更だ。



・10月のバック・パッキング vol.3の2日目は「金峰山(きんぷさん、と読みます)」を目指して夜明け前にトレッキングをスタート。朝日と並走するようにスタート。軽快にスタート……したはず。しかしこれが、己のコンディションなのか何なのかわからないけれども、とりあえず果てしなく大変だ。思わず「この山、100名山で一番きついらしいよ!」と9回くらい言いながら、岩場を進む。その道のりは人間が歩くこととは特に関係ないサイズの岩ばかりで、しかしそれは確かに「登山道」なのだから、人間が通った結果として出来上がった道でもあるはずなのだ。凄いな、人間&凄いな、岩。岩のような山を登っていると、山の中道の脇にもミニチュアの山が並んでいるように思ってクラクラすることもある。あるいはそれは別の理由でクラクラしているという説もある。そういうときにはバックパックから取り出したチョコレートなどを食べるのです。








金峰山頂上のすぐ手前「五丈石(ごじょういわ、と読みます)」という、地元の度胸試しみたいな15mくらいの岩には全く近寄らず、登っている人々を遠くから眺める見ることすら危うい(手に汗がびっしょり)自分は、そういえばやや「高所恐怖症」のきらいがあるのだった。しかしながら、頂上から見える360度すべての風景にはついつい距離を忘れて、それが高いとかそういったことをおそらく特に考えず、ぼやっと「山だぁ」と思う。風が強く、風は冷たい。空は青く、雲は眼下。バックパックからゴアテックスのシェルを取り出して着る。部長のJ・B(ジェット・ボイル/ジェームズ・ブラウン)でお湯を沸かしてお茶を飲む。「SOYJOY」という食物を食べる。バナナも食べる。例えば「2599mで食べるバナナは冷凍バナナの一歩手前で美味い」という、今まで知らなかったことを知る。







・その地点から、その時点で9時である時間から、一気に来た道を下る。2日間かけて歩いて来た道を、どういうわけかこのときは約3時間で駆け下りてしまう。「山登りの『くだり』が持っているふわっとした感覚」はこのときに関してはまるでなく、「もしかしたら『トレイル・ランニング』ってこういうテンションなんじゃないか?」というくらいの「違ったリズム」で山を進む。意識が足下に集中して、目は、土と、岩と、石と、木の根とを瞬時に判断して、角度と段差を想像して、からだの前後左右の体重のバランスをイメージして、リズムを壊さないように、動く。そこにはまた違った種類の面白みがあるのだろうけれども、しかし一方こうして書き連ねている事柄が、またもxactiをまわし損なった言い訳のように思われるとすれば、そう、それはその通りなのでした。











・そのようにして猛スピードで、違った種目として山を下り登山口まで戻って来たならば、ようやく周囲の風景、ではなくて周囲の物ものに意識が働くようになって、その自分の「緊張が緩んで別の集中力が生まれる」かんじが、これまたなんとも面白かった。季節は秋、秋の正午。木などの植物はそれが紅葉し始めていることによって、ひとつひとつ全然違った種類の物に見える(というか実際「別の物である」ことに気づきやすくなる)のだし、乾いた空気に光と影はあまりにも刺激的だ。そのようにチル・アウト&ストレッチ。そして瞬き。











・夏だけでなく、春だけでなく、秋だって一瞬で通り過ぎる。ぼさっとしているともはや冬。木枯らしだってやって来る。