&

  映像研究

水曜日は薪を拾いに行く。

 
・晴れた水曜日は薪を拾いに行く。2008年10月の第4水曜日は山へ薪を拾いに行きました(2回、タイトルを含め3回言ってみた)。


・あらためて確認するまでもなく「薪を拾いに行く」という言葉が持っているニュアンスはなかなかのものなのではないでしょうか。「おじいさんは山へ芝刈りに行きました」くらい概念の、映像で想像することが難しいようなニュアンスの言葉。おそらく人によっては「あちゃ〜(そっち側に行っちゃったんだ…)」と言いたくなるような「都市生活」と対立するようなニュアンスの言葉「薪拾い」、しかし実際のところそれは、来るべき『焚き火フェス』に向けた、空間演出デザイン?的な、映像編集の的確なエフェクトを試してみるような、そのような素材集めの作業なのであって、実際のところそれは、2008年の日本におけるもっともトレンディーなアクティヴィティのひとつだと思っている。


・そのように今や誰もが夢にみる「焚き火」について軽くリサーチしたみたところ、どうやらそれは「燃やす木の種類」「燃やす木の状態」によってかなり燃え方(炎の色、炎の大きさ、燃える時間などなど)に影響が出るとのことで、ちょっと考えてみればそれは当たり前のことなのだけれども、そういえばキャンプ場やホーム・センター(ドン・キ・ホーテなど)などで売っている『商品・薪』は、あれはきっとだいたいが「杉」的な木なのではないか?と思って、だとすれば、それは一種類の炎を一定の時間で燃やすだけの作業に過ぎず、それはつまりいわゆるレジャーとしての「焚き火」のフォーマットをトレースしているだけだという考えに至る。今の自分は「焚き火」をそういうものだとは考えていないのです。


・そんなわけで自宅の裏山であるところの高尾山へ行く。とりあえず平日であるのにかなりの凄い人だ(小学生の遠足なども来ている/騒がしくも微笑ましい様子)。しかしここで問題になるのは、自分は焚き火のための薪であるところの「乾いた木」を拾いに行ったにも関わらず、なぜ「森と水」の6号路を歩いてしまったのか、ということでした。そんなマイナスイオン出まくりの道に「乾いた木」が落ちているわけないじゃないか、手にする拾い上げる木がことごとく「ぬめっとしている」「しっとりとしている」「キノコっぽい匂いがする」ことに気づいたときにはすでに遅く、すっかり休日のハイキングを満喫。頂上へ。


・気持ちを切り替えて帰りは1号路を歩きながらぽつぽつと「乾いた木」を拾ってみる。「これを燃やしたら、どんな色の炎が、どんな音をさせるのだろう?」と思いつつ下を向いてきょろきょろしながら歩く山道は、普段の登山とは全然違った気持ちのそれだ。



・家に帰ってきてそれらを並べてみる。まずはこれらがそれぞれ「何の木」なのか調べてみようと思う。そして「焼き芋」をほくほくにするのに適当な、凍えたからだを温めるのに適当な、お酒を飲みながらじっと見つめるのに適当な「焚き火」をつくるためには、どれを、どのような順番で燃やすのが良いのだろうと、乾いた木を振ったり叩いたりしながら、想像しているのでした。