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  映像研究

台風一過、のち普通、のち自由。

 
・初秋の備忘録。台風一過は20日の土曜日。すっかり晴れた窓の外のスペース(庭、と呼ぶのはややはばかられる。)に置かれたトマトの苗が、今年最初の、そして恐らくは今年最後の実をつけている。思えば5月のある日に「狛江の花市」というオシャレイベントで、きわめてオシャレアイテム的なものとして購入され「実がなったらうけんだけど」くらい適当な教育方針で育て始め、かと思えば途中急に過保護になったりして、約4ヶ月。今となってはすべてが良い思い出です。


・昼過ぎに外出して中央ライン、旧ホームタウンであるところの荻窪駅で下車。駅前の自家焙煎の店で珈琲豆を購入した足で、約3週間ぶりに「ささま書店」をディグりに行く。たった3週間でこんなにも沢山購買欲をそそられる古書が並ぶ、その事実に打ち震えながらも、とりあえず給料日前である今回は「普通に」読んでみたい本、という基準で100円コーナー、100円じゃないコーナー、から数点を引き抜く。しかし考えてみれば「普通に」読んでみたい本、とは一体なんなのだろうかとも思う。この場合の「普通に」の反対語は「異常に」ではもちろんなくて、「逆に」「あえて」「一周して」、あるいは「お勉教のため」だ。しかしあらゆるものはもはやそれが「普通に」なのか「一周して」なのかわからないような、言いたいことも言えないこんな世の中であるのならば、あれこれ言わず、各人が読みたい本を読めばよいではないか!(自分に言っている)


・ちなみに『無限』は富士山について詩人たちが、ああでもなくこうでもなく、と語り合い、詩を詠んだりするという何ともエキセントリックな、よくわからない、しかし今の自分にとっては妙にピッタリくる特集だし、「ささま書店」ではなく、中央ラインに乗る前に高尾駅の「文雅堂書店」で購入した(とても良い古書店だ)『オリーブの〜』だって、サクサク読み進められつつ、今の自分にとって考えるべき事柄がそこにはあるように思う。


・その後は新宿に移動して知人友人の展覧会をちら見して、高尾駅前で購入した「天狗饅頭」を、メッセージとして置き去りにして(やや不審物)記帳。夕方からは業務。業務終了後はin小金井のKJ君の素晴らしいカレー屋にてR君と久々に鼎談…のはずが大幅に遅刻して謝りつつシャンパーニュ。食と書物、カレーと自転車、アウトドアショップと西東京ブーム、そして現代的な美術の話題であっという間に夜は更ける。



・そして日はまた昇り21日は日曜日。業務が朝イチからでなかったものだから、超・久しぶりに千駄ヶ谷、明治公園の「自由な市場」をちら見してからの出勤。古着、古道具、古書(少量)など、なかなかに購買欲をそそられつつも、結局のところ特に何も購入せず。それにしたって「自由な市場」はいつの間にかすっかりプロフェッショナルな人々の「転売コロシアム」になっていて、サークルノリの大学生的なアマチュアリズムは見られず、それはそれで少し、いあやかなり残念であったりする。


・業務を終え、来週の準備をやっつけたり、その傍らで「アーヴァン・キャンプ・フェスティヴァル」の企画を立てたりもしつつ、夕方からは中央ラインを下り吉祥寺タウン。ちょいゲリラ的な雨の中北口をしばらく歩いたならば、某ギャラリーにて行われていた上映イベントへおじゃまする。上映されていた勅使河原宏による『十二人の写真家』は実に興味深いドキュメンタリー・フィルムであって、木村伊兵衛土門拳、濱谷浩、といった戦後直後に第一線で活躍していた写真家の仕事風景を収めた映像は極めて貴重な記録でもある。トークショーも聞け、ホクホクしつつ帰る(帰りがけにビール)。秋はドキュメンタリー。誰かがどこかで、きっとそのようなことを言っていた、かもしれません。