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  映像研究

美味しい、面白い、あとその他

■『談』公開対談のお知らせ 4月22日(火) 会場:吉祥寺 sound cafe dzumi
●1夜(4月22日)「無数の眼/耳あるいは闘争の劇場としての……」
粉川哲夫(ラジオアーティスト/東京経済大学教授)
廣瀬純(仏・映画研究誌「VERTIGO」編集委員龍谷大学専任講師)


・そのタイトルからまったく情報が読み取れないなりに「なんとなく面白そうだ」と思ったので上記のトークイベントを予約していたのです。夕暮れの吉祥寺駅南口に降り立って、やや開始の時間に遅れ気味で目的のビルを見つけたならば、駆け足で螺旋階段を登り(高いところが得意でない自分にとってはほとんど拷問であるような/しかしエレベータもちゃんとありました)扉を開けた途端そこは西東京とは思えない、落ちついた「アーヴァン・ミニマル・店舗」だったもので、しばらくは缶ビールを片手に窓からの風景に見とれてしまう。ここは一体どこだろう、と。


・そんな自分のアーヴァン・初夏的な気分はさておき、トークの内容はとても面白かった。「面白かった」と書いてしまうとアレだけれども重ね重ね確認させていただきたいことは、非常に「面白かった」ということ。粉川哲夫という人に関しては1月の大阪の「remo」の展覧会のトークイベントで、そして廣瀬純という人に関しては3月末の芸大の「芸術とマルチチュード」で、それぞれ喋っているところを見る機会があったのだけれども、その二人によるトークは予想(期待)どおり「アントニオ・ネグリ」を紹介するところから始まる。


・まずは廣瀬純という人による、アントニオ・ネグリの三部作の展開についての講義が面白く、『帝国』・『マルチチュード』・(今後書かれるであろう)『共(コモン)をテーマにしたもの』という展開が、それぞれ「(現代の)生産の構造」・「(現代の)労働の形態」・「(現代の)革命の組織化」について書かれている、ということを踏まえた上で、更に歴史的な軸として「レーニンの時代(?)」「フォーディズムの時代」「ポスト・フォーディズムの時代」を挙げて、その三つ目の段階としてネグリの三部作はある、というようなかたちで、「労働」を中心に置いた歴史のマトリクスが見えたり見えなかったりしたことがわかりやすく面白い。


・しかしながらそこで粉川哲夫という人が「はたしてその思考のプロセスが現代の社会に対応しているのか」(というような内容の)問題提起として返答したことも面白く、そこから中盤の、廣瀬純という人の著書『美味しい料理の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)』の意図をめぐる一種のすれ違いもまた、両トーカーが「現代の社会/資本が取り巻く環境において(とてもざっくりした言い方ですけれど)何に可能性を見いだそうとしているのか」について微妙な違いを持っていることが明らかになったという意味で面白い。あるいはまた廣瀬純という人の「クリスマスにケーキを食べること(資本の中での欲望)を否定することは革命的なものに繋がらない」というような内容があったかと思えば、粉川哲夫という人の「以前にクリスマスにケーキを食べるのではなくシュークリームを食べようと思ったけれどまったくなかった。しかし今やシュークリームだってあるだろう」という話題が出される、そのような緊張感(これを読んでもわからないとは思いますが)を一観客として面白く楽しみつつも、しかし頭ではぼんやりと今夜の夕食のことを考えていたのです。


・そして後半の、主に粉川哲夫という人の80年代以降の「ラジオ・アート」「ラジオ・パフォーマンス」といった活動がインターネット普及以降にどのように展開してきたか/どのような意義を持っているのか、というような話題も面白い。「グローバル」に対して「トランス・ローカル」というキーワードのもとに「場所」「メディア」「ネットワーク」がどのような関係にあるか、というような話題に関しては、今自分が一番知りたくもあり考えたくもあるテーマであるし、1月の大阪でのトークのときにも確かそのような話題があり、その時も考えたけれども、テクノロジーに対してその使い方を、誤用も含めて積極的に拡張するというようなことについては、「芸術」や「技術」の問題だけでなく、そのことを基準に色々な活動をまとめて考えてみるきっかけになるような気がしないでもありません。とかなんとか考えている自分としては、面白く刺激を受けるところも多かったこのトークイベントに感謝したい。感謝しつつ帰宅。



・最寄り駅に降り立ったならばCOOPへ。そしてこれはまったくの偶然だけれども、個人的にこの4月は「(DIYの基本のキとしての)料理/自炊・超・強化期間」だったのです。購入したばかりのカセット・コンロ「雅」(凄いネーミングだな…)をフルに稼働させつつ「ブロッコリーと茸のアンチョビ炒め」とか「春キャベツたっぷりの味噌汁」とかいったものをつくっていたりいなかったりする。ちなみにそのような活動もまた自分にとっては来たるべき「バック・パッキング」へ向けた準備、のつもりなのです。そんな中今日は「鶏もも肉」を購入してソテーに。「梅肉」と「柚胡椒」で食べられるようにする、そのような一工夫(と言ってよいのかどうかわかりませんが)こそが「美味しい料理」を哲学していることになるのかならないのか。とりあえずつくっているときはまったく考えず面白いと思い、食べてるときもまったく考えず美味しいと思うだろう。そしてあるいは食後のコーヒーを飲みつつ哲学。


美味しい料理の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

美味しい料理の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)