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  映像研究

/そして、記憶

 
・その移動とはつまり、記録と記憶について考えるためのものであるとかないとか。
14日(月・祝)は起きてホテルをチェックアウト後、近くの喫茶店でモーニング。旅行といえばモーニング。三度のご飯よりもモーニングが大切だと思う。そして今回の旅行のもう一つの目的は、個人的・アーカイヴであるところの「祖母の家/あるいは気持ちのどこかでの生家(と言ってはそれは言い過ぎではあるものの幼少の頃をあまりにも長く過ごした父親の実家)」が「今どうなっているのか」を見に行く・ツアー(ソロ)です。


・地下鉄で「日本橋」から「今里」に移動して地上へ、上がるも全く地理感覚が掴めず、掴めないなりに「鶴橋」方面へ徒歩で移動。「千日前通り(?)」沿いは大型スーパーなどでかなり風景が変わりつつも、川(名称忘)を渡るとそこはほとんど変わらない長屋的な一角があり、自分が知っている(た)風景がまるでそのままであるようなその中にあって、かつて「祖母の家」が建っていたスペースだけが、二世帯風/3階建ての一軒家にすっかり変わっていた。この、これらの、見たものや移動したことは、自分にとってとても貴重な経験だ。と感慨深く(としか言いようがないなぁ)思いながら今日は夕方まで観光をしようと思いたった。


鶴橋駅前のアーケードを通り抜けて、(叔父一家が住んでいた)森ノ宮方面へそのまま徒歩で移動。北上し続けて大阪城へ。当時お年玉をもらうとアメ村直行ボーイズ(従兄弟とともに)だった自分的には逆に新鮮な大阪城。しかし大阪歴史博物館の建物はかっこいいから好きだった大阪城天守閣にはのぼらずうろうろしつつ、昼すぎには西に徒歩で移動。繁華街に戻ってアメリカ・ヴィレッジと呼ばれる一角をぐるりとして(当然と言えば当然だけれども一番繁華街ぽい地域が移動していたり、かつてあったレコード屋がすっかりなくなっていたりと街は変化しているのだな)日が暮れる前には梅田/大阪に移動。「かっぱ横町 古書のまち」へ。大人なかんじの古書店が多く色々気になるも食指動かず(買ってしまっても大変だしな)。


・夕方には「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」に戻って、

トーク●「ビデオは見えないものを書くエンピツです」
トーカー:谷川俊太郎(詩人)・甲斐賢治(remo代表理事)・松本篤(remo/aha! project企画)


・2日目の授業を聴きに行ったのだった。本当に正直なところ、大変に失礼ながら、それほどまでにはこのトークイベントに関して期待していなかったのだけど、そういった予想を軽く超えてとても面白かったです。ところで、一応、仮にも、便宜上、曲がりなりにも(と言っておかないと)、映像を専攻して何だかの教育機関を通り抜けてみた自分ではあるけれども、そんな自分にとって、このトークイベントで語られていたようなこと/あるいは「remo」という組織が映像について考えながら試みていること/つまり映像についてのリテラシーというものをすごく自然に(マス・メディアに対して〜というような何かと何かの対立としてだけで考えることとも違っているように)捉えるということ/そして普通に生活する誰にとっても関係があるものとしてその、他の人との関係性、を含めて考えるということ/とかは、しかし全くもってとても新鮮な/新しい/そしてもっと多くの人にとって(専門的に学んでいるのならば尚のこと)考えられるべきことだった、ということが自分にとって一番の発見だった。「ただ映っているもの(こと)」が何故「おもしろい」ものになりうるのか、について、今も考えている(宿題その2)。



・日付が変わる直前、夜行バスに乗り込み東へ移動。連休後で「またもや劇的に混み合ってるのでは…」と不安を抱いていたものの、乗客は4人(含む自分)、「仲の悪い『あいのり』」みたいな帰路では夜の高速道路にxactiを向ける。東京に戻ってくると未だ冬真っ盛り。