・4日。自分とはほとんど関係ないなりに連休最後となった日曜日。今日こそは秋晴れ系の快晴。
昨日の(健康的な/ここちよい)疲労を引きづりつつ、午後から出かける。愛機ペンタックス67のレンズを探しに、中野「フジヤカメラ」〜新宿「マップカメラ/カメラのキムラ」〜新橋「大庭カメラ」。最終的にはひと通り見た後で戻ってきた中野で足をのばしてのぞいてみた「日東商事」で90mm/f2.8で24000円のものを購入。良い買い物をさせていただき、ありがとうございました。
・途中いくつかの古本屋に寄る。あるいは新橋の駅前ロータリーでやってた古本市を大雑把にのぞく。
- 『パリ=東京 映画日記』飯村隆彦
- 『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本 (1981年)』平田オリザ
- 『ポップ中毒者の手記 約10年分』川勝正幸
安かった本を何冊か購入。家に帰るまで全く意識しなかったけど、自分は今、日記とか手記とかそういったものを読みたいようなのです。それにしてもカメラと本とで背中が重い。山登りより、重い。
・帰宅して週末に買って読んで(見て)なかった、横山裕一の『NIWA (CUE COMICS)』を読む(見る)。一気に読める(見られる/しつこいね)。集大成的、ボリューミー、そしてマンガ的(?)。つまり長編、といえば長編なのだけど(もちろん本来の意味での「長編」とは大分意味が違うのだけど)それを飽きさせずに読ませるのは、吹き出しに書かれた言葉(セリフ、ではない気がする)と、シーンを切り替える場面でのカットの割り方やクローズアップによって生まれるリズムだということ。そして、しかし抑揚がありながらも全体としての印象はやっぱりとても「フラット」に見える(スーパーフラっと、ではなく)。
・あるいはまた、全然違うところの全然違うはずのもとして、ゆらゆら帝国『空洞です』を聴く。
たまたま自分が同時に見ていたものと聴いていたものなだけの『NIWA』と『空洞です』は、雰囲気/テクスチャーのような部分では「ソリッド/どろどろ」と全く違った印象もあるのだけど、たとえば『空洞です』の『空洞です』や『学校へ行ってきます』とかの聞き取れるかぎりの歌詞から思い浮かべるイメージは、意味としては、とても、似ている、ような気がしないでもない。
・「よくわからない」けど「ある秩序において」は「機能的な/具体的な」ものがモチーフになっている(ことがなお一層「よくわからない」…)ということ。そしてその積極的に極端に機能的であること(ただ目の前にあるものを指し示すだけであること)を描いたり歌ったりすることはきっと、一般的な意味での「機能性」とかそういうものを切り崩すための、同じ戦略のバリエーション違いの方法なのではないかな、とかいうことを考える。とかそういうことはしかし、言葉にするよりもやっぱり、「へー」とか言いながら、忘れながら、自分もなにかをすることでしか、理解することすらできない、と思った。
・と思ったら、amazonで「横山裕一」を見ると「こんなものも買っています」で「ゆらゆら帝国」が表示されますね。こんな適当な感覚すらもデータベース化される(?)、これもまたユビキタス(??)。
- 作者: 横山裕一
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