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  映像研究

無題

・202310142100。帰宅する京王線で書いている。目眩く、というほどではないにせよ、業務以外の何事かを集中して考えることが難しい日が続いており、そしてしばらく続く。この感じこそを記録しておきたいと思った。ただの言葉で。日中、聞こえた情報から、言葉にすることさえ苦しくなるような想像が浮かぶ瞬間があった。万に一つの可能性もなくとも、そうでないことを祈るような気持ちを久しぶりに感じた。あるいは、色々な人の話を聴きながら、その人の生い立ちを想像するような業務において、ふと、何かに夢中になることができる状態は、人が生きている中で、奇跡のような時間であると思った。願わくばその、夢中になることが、この世界を少しでも善くすることへ流れていくようにと、全く抽象的な願いも浮かぶ。そして、いつでもこの今が最先端。かつて友人が制作した展示作品の記録映像で、かたい金属の円錐の先端が床に張られた氷のようなガラス板に突き刺さる瞬間を見た。その界面にズームインする。先端が衝突して新しい現実が拓かれる。そのような意味での現在=先端のイメージが時々浮かぶ。この今。