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  映像研究

節(切)

・後から書いておく日曜日の記録。業務のイベントの日。8:30から20:30までが目眩くうちに消えた。いつか自分が走馬灯を見ることがあるならば、ゴダールのソシアリスムの予告編のように、今日のような一日が圧縮され再生されるのではないか。人と話し、文字を読み、何事かの準備をする日。いつもと同じ、未来のための今日だった。

 

・最高気温19℃の予報を見て、おそらく2ヶ月ぶりくらいに、タイツを履かずにズボンを履き(ズボン、と言いたい)外出した。気温は高いがしかし全身を貫く冷たさがある。包まれた暖かさから抜け出した感じがある。初夏にはじめてプールに身を浸したような不思議な新鮮さがある。こうして新しい季節にめりこんでいく。

 

・「節」という語を読むと、蕗のとうの苦味のようなイメージが広がる。繰り返しながら少しずつ変化するその単位としての節。単位を区切るその切断をイメージすればすっきりと且つ鮮やかな印象もある。緩やかに変化する季節を、別の次元で感じることができるならば、風景を見ることも更新されるだろうか。

 

・流れ去る時の川で坂口恭平が「肩の力を抜くこと以上に膝の力を抜くことが大切」ということを呟いていたのを目にして以来、生活の中でふとしたときに、膝の力を抜いてみる。すると表情をつくる力が溶けるように思えて、外に向けて張っていた意識を自分の方に取り戻せるように感じる。身体のことをもっと考えたい。身体について考え知ることの過程として、歌をうたうことや楽器を演奏することがあり得るだろうか。生きることを豊かにするためにこそ、自分の身体に合う楽器が欲しい。物欲の口実。

 

・明日からは休みながら準備をする一週間になる予定。見て触れる予定。