&

  映像研究

水筒を見る

・202111212027。大幅に延長した業務から帰宅する京王線で書いてみる。日曜日の下りの電車は空いている。夕方から降り始めた雨のせいか空気の感じは少し変わった。笹塚駅準特急に乗り換える。笹塚駅のホームには、まだ冬の気配はない。

 

・業務が年内のソフトな山場を迎えている。山ではなく丘か。やむを得ず朝起きて自宅で業務。基本的に丸一日、文章を読みコメントを返す作業をする。原稿用紙に赤字を入れ、Wordのデータに書き込む。場合によっては修正案を提示する。他人が書いた文章ならば、このように無慈悲に切ったり貼ったりできるのに、なぜそれが自分の文章ではできないのか、そう考えながらここしばらく生活している。明日からは自分の文章と向き合う予定の数日。

 

・数日水筒を持ち歩く生活をしている。暖かい季節はどうしてもミネラルウォーターなどのペットボトルを購入してしまうが、寒い季節は熱いくらいに暖かい飲み物が必要だった。午前の行きの電車に乗る直前、ホームのベンチに座り、ふと息をついて水筒をリュックから取り出す。水筒のキャップをひねりお茶を入れ、飲み、またキャップをしめる。最近は石垣で摘まれたホーリーバジルのお茶だった。

 

・水筒を見る。水筒の存在が良いと思っていた。自分の、この、水筒の姿に何かを感じたから、ふと、ベンチに立たせて、一枚の写真を写す。立たせた水筒を写真のフレームの中心に置いて、写してみる。何かの存在を写すならば、その何かを中心に写す以外に方法はないように思われた。

 

・自分が確かにその物の存在を感じており、愛着を感じていて、その物に触れることを好ましいと思っている。そういう物を見つめて、見つめるだけでは足りずに、写す。その物の肖像があるべきだと思っている。それは祈ることに似ているだろうか。いずれにしても、写真を写す理由はそれ以外にはないのではないか。日曜午前の人の少ない駅のホームで、ベンチに水筒を立てて、その水筒を見ながら、そのように考えていた。

 

f:id:MRTR:20211121204213j:image