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  映像研究

二月の空白

・後から書いてみる二月最後の土曜日は実家へ。父親の命日に合わせて家族で集まり食事する空白のような日。亡くなって数年の間は友人や親戚など多く集う一大イベントだったが9年を経て、人が集まることが難しい近年の状況もあり、最もミニマルな形に落ち着いた。正午に到着し墓参りからの昼食と夕食。正月のように食べて飲むことだけが続く。

 

・食べて飲みながら今年は母親による藤井風についての講義を受ける。MVにおいて監督によってどのような世界観の違いがあるかなどとめどなく情報と解釈が溢れてきて、さまざまな意味で圧倒されつつ興味深く聴く。何か質問すると食い気味に返ってくることも凄い。何かに夢中になり微細な差異を感受できるようになることに年齢は関係がない。そのような事例として受け取ってもいる。

 

・トピックが移り変わろうとも、たいてい毎年この行事によって季節を強制的に切断しているようにも思う。冬と春の間の空白。