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  映像研究

9年前の昨日

・後から書いておく祝日の日記。二月後半から三月にかけて大学生の春休みのような(実際に全くそうでないとも言えない)生活をしているから祝日の感覚はない。

 

・自宅で制作作業をはじめる家族にエールを送りつつ外出。新宿のキンコーズで4回目の論文の製本。製本をするたびに自分が文章を書いたその行為から遠ざかっていくように感じる。確かに3ヶ月前にはその文章を書いていた。今はもうすっかり綴じられている。

 

キンコーズで受付を待ちながらぼうっとしていると、ふと昨日が父親の命日だったことを思い出す。土曜日の実家の法事的集まりのことを考え続けていたが、命日それ自体にまったく意識が向いていなかったことに驚く。2014年2月22日の午後2時22分という点から9年経った現在がある。そうして自分はとても薄情なのだろうと考える。昨日の午後2時22分は職場でおやつを食べながらイラストレーターでキャプションのデータを作っていた。テキストを打ち込むことに集中していた。生の全体から見れば瑣末な仕事に夢中になりながら生きている。いつか死ぬことを忘れて生きている。

 

キンコーズの受付を終えて引き継ぎ休暇。池袋の新文芸坐で、D・W・グリフィス東への道』と『散り行く花』を続けて鑑賞。弁士による特別上映だった。弁士を伴う上映を初めて鑑賞した。普段「映画とは映像と音声による作品」などと当たり前のように言っている自分は、その映画なるものが、どのような歴史を経て現在の形であるのかを知らない。その意味でも学びの多い上映だった。映画を見終わって座席から拍手が湧くことも新鮮。諸々考えつつ帰宅する。

 

・夕食を準備する力がなく、家族が作業をしていることと祝日であることを無理やり口実としてピザを提案。車を走らせピザをピックアップして帰宅。ピザのビールの夕食は少しの罪悪感。『ドキュメント72時間』など見ていると勝手に意識が遠ざかる。