&

  映像研究

春の空白

・202203232019。部屋で。空白の一日があっても良い。あるいは空白の数日があっても良く、数ヶ月に渡ることがあるかもしれない。そのように公開された日記に書いてみる。それは直接は知らない人に向けて、あるいは過去や未来の自分に向けて書いているかもしれない。昨夜は5日続いたハードめの業務をクリアカットすべくビールやワインを飲んだ。今日の午前中はそのアルコールが残った状態。辛うじてできたことは数日前に購入していて開くことのなかったBRUTUSのファッション特集をぱらぱらすることと届いた本と写真集をぱらぱらすること。午後にも作業を再開できず、蜂蜜について調べて購入したり、破れたMacBookのケースを新調すべく調べて購入したり、破れかけのリュックサックを新調すべく調べて購入しようとしたら時間が消えた。人はこのような一日を休日というのか。または空白というのか。無為か。夕方にウクライナの大統領の中継を視て聴く。誰も死なないことを願う多くの人は、何を「支援」していることになるのか。

 

三寒四温の寒が続いたから久しぶりにストーブをつけて部屋にいた。この時間が過ぎて前に進むことを願っていることに気がつく。これは、起こる出来事に対して、近づいたり、離れたりを繰り返しながら、慣れていくということなのだろうか。