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  映像研究

たぶんノーミス

・202104051006。午前の自宅で荷物の再配達を待ちながら。3月26日の日記には「4/5を向こう岸に設定してその地点まで泳げれば(ひと安心、あるいは、逃げ切れた)」というようなことが書かれている。だからいま少し前に設定したその地点に「着いた」と思う。着いてみたものの実際にはいまだ気を抜くことはできず小休憩(小島、また泳ぐ)のような場所にいるイメージ。諸々考えてみると「4/12(月)」が当面の辿り着く目標となるようだった。あと一週間このような生活を続けたならば、自分の書く作業の時間を持つことができる。

 

・一日に全然違う部門の、あるいは違う場の予定が二つ、三つと入っていると、切り替えることができず、混乱したまま、ともかく、その場を乗り切る発想になる。辛うじて一定のパフォーマンスは出せている感触はある。そうして小さな事務的な手続きを重ねる。結果的に「たぶんノーミス」でこの年度の転換を進めている。歯医者に行けなかったこととカーステレオを修理できなかったことは積み残した。あと確定申告も。しかしこの「たぶんノーミス」が重要。「たぶんノーミス」を積み重ねた先に自由な時間と空間が開かれる。そういうイメージ。

 

・「たぶんノーミス」の中にはたとえば「風邪をひかないこと」も含まれる。昨晩は日付が変わるぎりぎりまでオンラインで会議をせざるを得なかったから、そして少し体調の危機を感じたから、暖かくして、蜂蜜など舐めて、睡眠の質を保つ。春の温さがからだに馴染んできたようにも思うから、汗のかきかたに気をつけながら、少しずつからだを動かすことをはじめたい。そういえば足と胴体の接続の不調(という表現が適切なのかわからないけれども)も気がつけば解消されていた。これならば春から歩いたり走ったりができそう。

 

・荷物が届く。

 

・昨日の帰宅する電車の中でふと「もしかすると自分はいまが生きている間で一番心身のバランスが取れているのではないか」と直感する。同時に「この直感それ自体」を保つように育てていくことは、どうすればできるのかとも考えた。身体能力(体力)と知(知識、知恵)は反比例する二本の線のグラフのようなものとして描かれることがあるが(身体能力は時間とともに下降し、知識や知恵は少しずつ上昇するような)、ほんとうにそうなのだろうか?などと考えたりもする。知識や知恵が身体能力を押し上げるように二本の線が融合することもあるのか?など考えは尽きない。身体の使い方と集中力のはたらかせ方については、今年度の裏テーマ的に考え続けたい。

 

・ラジオから、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」。いちばん昔に覚えた英語の歌。音楽が訪れる幸運。