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  映像研究

春の先端

・202201281751。夕方の猿田彦珈琲にinしてみた。夜まで業務のつもりでいたのだけれども、色々な作業のタイミングと一緒に仕事をする人の都合もあり、ぽっかり時間が空いてしまった。だから帰宅する。平日のこのような「普通の定時らしい時間」に下りの電車に乗ることは稀だから、別の世界に入り込んだような、あるいは仮病で早退したような、不思議な気持ちでいる。不思議な気持ちを記録したならば、その後に少し作業をする予定。

 

・帰宅する時間が早いからか、17時を少し過ぎても明るい空の色のせいか、それだけが理由ではないのか、空気を柔らかく感じる。これはもう春なのではないか。フェードインする僅かな音に気づく瞬間。あるいは「三寒四温」の手前にある、その「三寒四温」を生む微かな混沌。そうした予感のようなものを受け取る。予感はいずれ確信に変わる。

 

・業務で数日自分の弱点が露わになる出来事が続き反省を巡らせる。至らないことの至らなさを一つひとつ拾い上げ積み上げるような種類の反省も時々は必要かもしれない。いずれにせよしばらくすれば忘れてしまうことも知っているから。自分の楽観が回り回って周囲の人たちの力の発揮を妨げる状況を呼ぶことがある。同じような状況におちこみそのたびに理解する。そして今は2022年だった。マスクを着用して会話をするこの世界で、打ち上げ乾杯することが困難なこの世界で、どうすれば一瞬でも一つの目標に向けて相乗りすることができるのだろうか。「協働」それ自体は形のないものだけれども、確実に発生する。どうすればその流れを生み出すことができるのか。そのようなことも考える。

 

・色々な人の色々な感情の揺れを感じるのも春らしかった。そして別のことを考える。喫茶店の窓から見える電飾で覆われた塀の感じに、ふと季節ごとに異なる「夜らしさ」を思う。特に春の夜や夏の夜の湿度を思い出す。音楽の演奏か何かの上映か、そういう催し物を待つ時のような、ある空間に予感が満ちている感じを懐かしく思う。予感として知覚しているのは実際はアルコールと人間が放つ匂いかもしれない。それをパーティーと言ってみて、そのようなパーティーの灯が地上から消えた世界だろうか。

 

・ひとまず自分は今していることをもう少しこのまま続ける。